弦楽四重奏曲第42番 -打楽器と声を伴う 「蝶が猿とあくびする(パヴェル・ハースに倣って)」解説

 パヴェル・ハースはブルノに生まれたモラヴィア系ユダヤ人の作曲家で、母はウクライナのオデーサの出身だった。当時のモダニズムと民俗音楽の間で優れた作品を残したが、その名はナチスによってアウシュヴィッツで殺された不幸な芸術家の一人としてまずは知られている。

 パヴェル・ハースはソーニャ・ヤコブソンと1935年に結婚しているが、ソーニャはかつて言語学者のロマーン・ヤコブソンと結婚していた。
 ロマーン・ヤコブソンはソシュールからの影響で構造主義言語学を打ち立てたひとりだが、その活動はロシア未来派と連動したモスクワ言語学サークルから始まる。そしてアレクセイ・クルチョーヌイフ、ヴェリミール・フレーブニコフらとともにザウムの運動にも参画し、自らも実作に携わり、Aliagrovという変名でクルチョーヌイフと共作、出版もしている。超意味言語を意味するザウムの運動は、言葉を個別の意味から切り離し、普遍的な言語に至ろうというものだった。その意味で、ローマンの後年の言語学者としての軌跡、普遍的な言語の機能や構造を考える始まりに、この前衛芸術運動を置くことは間違いでないだろう。
 真摯にしかし素朴に言葉の神秘に向き合ったザウムの運動を超えて、ローマンとともにプラハ言語学サークルを設立したニコライ・トルベツコイを介してユーラシア主義、汎スラヴ主義へと考えを推し進めることもできる。例えばインタースラーヴィクという人工言語の伝統をここに置くこともできる。
 ローマンは同じロシアから来て医学を学んでいたソーニャとおそらくはプラハで出会い、結婚したが、短い結婚のあとソーニャは、ブルノへの転居ののち離婚し、パヴェルと結婚することとなる。
 パヴェルはヤナーチェクに学んだ作曲家だった。ヤナーチェクはよく知られるように、ボヘミアと違ってスラヴ世界に属するとしたモラヴィアのアイデンティティをもとに、話し言葉をメロディーへと書き写した。パヴェルの音楽にもこの特有の旋律の影響は色濃く見て取ることができる。
 パヴェルは1925年に弦楽四重奏曲第2番「猿山より」を書いた。モラヴィア民俗音楽とヤナーチェクの影響とともに、ここにはっきりと現れているのは、1920年代のモダニズムの強い影響である。それがもっとも顕著に現れているのが第4楽章における、打楽器パートの追加だろう。それはほとんどドラムセットのように響く。ここでいうモダニズムとは12音技法に代表されるような、音楽史特有の一貫性のある論理的なものではなく、パヴェルと同じくチェコ出身の、だがボヘミア出身でヨーロッパ各地で活躍し、そしてパヴェルと同じくユダヤ人でナチスの強制収容所で命を落としたエルヴィン・シュルホフに見られるような、猥雑な多様性の間を切り抜けていくようなものだった。そしてそれは時にはとても政治的なものになった。

 私のこの2楽章からなる「弦楽四重奏曲」では、第1楽章でパヴェルに倣って打楽器を追加している。ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」とパヴェルの弦楽四重奏曲第2番「猿山より」の音程を用いながら、東ヨーロッパ各地に見られる加算リズムとアラブのリズムを適用している。「ないしょの手紙」はヤナーチェクの片思いの人妻だったカミラ・ストスロヴァーへの恋文であり、読み取ることができない、しかし明快な個人的メッセージであった。第1楽章の最後は20年代のモダニズムのスタイルの一種の変奏になっている。
 声を伴う第2楽章の成り立ちはもっと複雑で、私と作家のハンナ・シルヴァとのアントナン・アルトー、ー1920〜30年代に言葉と格闘したひとりーに関するこの数年来のプロジェクトのひとつの派生物である。ここではアルトーの「組織なき身体」にまつわる文章から、人工知能(GPT-J)に生成させた英文テキストを聞き取れない形で使用している。高度な資本主義に結びついた形での、別の普遍言語へのアプローチである人工知能の書いた文章にそってメロディーが書かれ(元の形では6月にモントリオールで初演予定のオペラ "Body without Organs (with Organ)" の中でオルガン伴奏で歌われるはず)、弦楽四重奏による伴奏が作曲された。そのあとでもとの歌詞は消去され、メロディーに沿う形で、クルチョーヌイフ、Aliagrovからの直接の引用を含むザウムに置き換えられた。したがって歌詞はいかなる意味とも対応していない。
 タイトルはパヴェルの弦楽四重奏曲第2番の第4楽章に最初につけられた副題、「蝶が猿と踊っている」(最終稿では「熱狂の夜」)そしてスケッチ段階で破棄された第5楽章の副題「目覚め」に由来する。

 汎スラヴ主義、ユーラシア主義、これらは近代ナショナリズムを超えるように見えながらも、まさにそれを相補するものであり、例えばいまウクライナで起こっていることと無縁ではない。近代国民国家を一気に清算して、ひととびに、例えば月で火星人のために音楽を奏でることができればどんなによいだろう。

 これは私にとっての最初の弦楽四重奏曲で、第42番というのはタイトルの一部である。うろ覚えだが、ダグラス・アダムスの《銀河ヒッチハイク・ガイド》によると、異星人間の意思疎通のためには思念を直接翻訳する小さな魚を耳に入れる。そして「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」は42である。2人の作曲家の弦楽四重奏曲第2番を参照しているのだからまずまずの数ではないだろうか。

 人工知能による消去された文章は以下のように終わる。
 あなたの手を離して、そしたら私はあなたのために、完全に自分の力で私自身の音楽に乗って踊りながら、あなたの方へ歩いていくでしょう。夜の迷宮の中を。(原文英語)

 半ば想像上のパヴェル、ソーニャ、ローマンの三角関係、秘められ敗北したがゆえに、普遍にかろうじて到達しえるような音楽と言葉、モダニズムの夢にこの曲は捧げられている。


2023年4月6日 杉並公会堂にて初演


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