林千恵子メゾソプラノ・リサイタル『アペルギス&グロボカール』 曲目解説

グロボカール Second Thoughts (1995)
女声とテーブルに並べられたいくつかの打楽器のための。グロボカールの育ったユーゴスラヴィアでの1991年に始まる紛争を扱った作品。フランス語、ドイツ語、スロベニア語、クロアチア語、ラテン語を用いた手紙が身振りを交えながらが、歌われ語られ、合間に疑問が投げかけられる。この言語の選択に既にヨーロッパとグロボカールの政治的、歴史的地政学が反映されている。一番最後のパートで歌手は手紙の内容を自ら考え、反映させる(実際この部分は歌手自身によって作られなければならない)。タイトルはその「再考」に由来し、政治的、社会的な出来事を個人の内面において捉え直すことを意味する。またこの作品はユーゴスラヴィア紛争を扱った3部作の2つ目であり、連作自体で手紙の往還という形式をとっている。

グロボカール Jenseits der Sicherheit (1977/81)
タイトルは『安全の向こう側』。声のソロのための。全体は細かい部分に分かれるが、多くの部分でパフォーマンスの何らかの要素が演奏者に任され、演奏者は各部分でテキストの子音、母音、テキスト自体、音楽自体、身振り、表情などのうち一つの要素を「発明」する。そのような演奏者の自由と、同時に記譜された部分には過酷なまでに複雑なリズム、音程、特殊なテクニックが全面的に使用されている。超絶技巧の要求と演奏者の自発性の相互作用から感情が爆発する。

アペルギス Recitations (1977-78)
全部で14曲からなる声のソロのための作品集。"Recitation" はフランスの小学校での繰り返しによる暗唱を意味する。その暗唱のプロセスが徐々に長い文に移行したり、時には間違いが含まれてしまうように、この作品ではすべてに渡って、シラブル・語・断片の徹底的な累積反復(アキュミュレーション)と順列組み合わせがおこなわれる。これは技法として殊に1970年代前半のアメリカの実験芸術、例えばスティーヴ・ライヒの音楽や、トリシャ・ブラウンの振付けで多用されたものと同一であるが、この作品の特徴は、その技法が言葉と声に適応されることで、システマティックな思考と、言葉の持つ意味、個人的な表出の間に絶大な緊張関係とドラマを生み出している点にあるといえる。さまざまな俳優、歌手によって演じられてきたアペルギスの代表作。


グロボカールとアペルギス

 相違を述べればいくらでも可能だが、ここでは敢えて類似を考えたい。グロボカールとアペルギスの2人は、狭義の、しかもヨーロッパの、現代音楽の中にあって1970年代以降の退潮と保守化をものともせず、それを前衛と呼ぼうが、実験と名付けようがともかく、制度の中に安住することなく、慣習的な「音楽」を拒否した上で、音楽の新しい可能性を真摯に問いつめ、凝縮された作品を発表し続けている。別のいい方をすれば、「現代音楽」の外に訴えかける力を持つ、数少ない現代音楽である。1950、60年代はいざ知らず、こういうことができる作曲家は残念なことに現在多くはない。
 この力と持続、その源にこの2人の作曲家の間に似たものが見いだされるのは間違いないだろう。例えば、異なった領域の共通基盤を問いかけ、反省する学としての哲学への関心。グルボカールは若い頃、サルトルやレヴィ=ストロースと親交があったし、近作『歴史の天使』におけるベンヤミンへの参照に注目することもできる。アペルギスのオペラの台本にはディドロ、レヴィ=ストロースからアラン・バディウの名前までがずらりと並ぶ。またはキャリアの最初期におけるジャズや絵画といった他ジャンルにおける実践。しかしこのくらいのことはこの世代のヨーロッパの知的環境ではごく当たり前のことかもしれない。あるいは2人がギリシャとユーゴスラヴィアというヨーロッパであっても中心から距離を置いた地域で青春期を過ごしたことに着目してもよい。特に東方との文化交流が色濃く残った地域で得たものは現在の彼らの活動にも色濃く影響を残しているように思える。
 しかし、2人の共通点をあげるならば、何よりも音楽の身体性への着目につきるだろう。その可能性を執拗に追求していることにおいて、この2人は他とは決定的に違うのであり、この領域において最も豊かな成果を生み出してきたのだから。(もっともここに他の20世紀前半生まれの作曲家の名前を付け加えることもできないわけではない。例えばヤニ・クリストウを。)
 少しここで、シアターという言葉を考えてみよう。アペルギスは自らの活動のためにこの語を積極的に用いているが、これを演劇と訳すにはためらいがある。なんといっても、音楽にシアターの概念を導入したのは、ジョン・ケージであって、ケージのシアター概念には「演じる」要素や「劇」の要素は微塵もないからだ。ケージの考えたシアターとは、例えば何も演じない演奏家が不可避に招き寄せてしまう視覚的要素のような、人間の生の持つ本質的な多様性のことだった。ピアニストが舞台に出てきて何もしないならば、あなたは彼(女)を聴くよりもまず見ているのである。その事態は言葉や美術や音楽が統合される演劇的なシアターとは区別されなければならない。この生の多様性は、時間というフレームをとりあえず脇に除けるならば、何よりも身体に、演奏者の身体と聴衆の身体に宿るものである。あたなは演奏者を聴くことが、見ることができるだけではない、それを嗅ぐことも、触ることもできるだろう。シアターと身体は本来区別されるべき問題であるが、ケージのシアターを身体と結びつけて考えることは、例えばケージがライヴの体験にこだわったことからも、間違っていないと思われる(例えばここで映画という総合芸術にこだわったカーゲルと比べてもよい)。
 グロボカールもアペルギスもケージのシアターに極めて近い所から出発しているように私には思われる。グロボカールの音楽における演奏家の圧倒的な視覚的現前や、アペルギスのテアトル・ミュジークは、身体を基盤にした音楽の視覚性の強調であって、音楽への演劇的要素の付加や、演劇の枠組み内での音楽とは異なるからだ。そういった意味で、音楽の視覚性を極度に強調したケージの作品、『ウォーター・ウォーク』や『シアター・ピース』の流れを受け継ぐものといえる。とはいえ、その間にある根本的な違いも見過ごすわけにはいかない。グロボカールとアペルギスの作品で繰り広げられるのは、ひけらかしといって良いほどの演奏者の力の充溢であり、ケージの作品にあっては、まったく否定されるか、あっても概念的には後景に追いやられているものである。それをヨーロッパ的エゴイズムとして地域的な問題系で納得することは、ためらいがあるにしても無理ではないだろう。このことは、ケージの過激でありながらも楽天的な政治思想と、グロボカールの音楽の直接的で攻撃的といってよい政治性の対立としても捉えられる。後者にはあくまで世界と対峙する個人の姿を垣間みることができる。
 ケージは身体の複数のざわめきを何より聴衆が自発的に聴き取る可能性にかけた。グロボカールとアペルギスは、その複数性に力を貫入させ、ざわめきに更なるゆさぶりをかけることで増幅する。演奏者の主体はむしろ分裂の危機に晒され、その危機からユーモアと感情の形式が激しく迸る。そこには音楽の新しい可能性に対する信念とともに、外部から音楽を見つめる冷静な目が同居している。
 



作曲家プロフィール

ヴィンコ・グロボカール
1934年、フランスでスロヴェニア系の家族に生まれる。14歳の時ユーゴスラヴィアに移住しジャズ・トロンボーンを演奏する。1955年パリ国立高等音楽院に入学、ルネ・レイボヴィッツらに学ぶ。60年代にはルチアーノ・ベリオやカールハインツ・シュトックハウゼンと仕事し、ジャン・ピエール・ドゥルエ、ミシェル・ポルタルらと即興演奏集団、ニュー・フォニック・アートを結成する。現在に至るまで作曲家としてのみならず、トロンボーン奏者、指揮者として精力的に活動している。近作にオーケストラのための『人質』、『歴史の天使』、即興演奏家グループのために書かれた"Damdaj"などがある。

ジョルジュ・アペルギス
1945年アテネに彫刻家と画家の夫婦のもと生まれる。ほとんど独学で音楽と絵画を学ぶが、ミュジーク・コンクレートに衝撃を受け、1963年パリに移り住む。クセナキスの影響下に習作を書き、ジョン・ケージとマウリチオ・カーゲルを通してシアターに到達する。1971年より音楽、言葉と舞台の関係を扱ったミュージック・シアターを作り始め、特にアヴィニヨン演劇祭を拠点に作品を発表する。1976年バニョレにアトリエ・テアトル・エ・ミュジークを設立し、以来音楽家と俳優をとりまぜ、リハーサルのプロセスを重視した舞台作品(テアトル・ミュジーク)を制作している。同時に器楽作品、オーケストラ曲、また上記の舞台作品とは異なった、より伝統的スタイルによるオペラも継続的に発表しており、近年はエレクトロニクスを大きく導入した作品も多い。



林千恵子メゾソプラノ・リサイタル『アペルギス&グロボカール』 
2011年7月27日 門仲天井ホール

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