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味わいある日々

私は何故だか若い頃から仏教や仏教哲学に興味がある変わり者でした。そんなことに詳しくなっても何の得にもならないのに。実際に今の私は相変わらず生活苦に喘いでいます(笑)。

2年前、知り合いのお母さんが亡くなられ葬儀に参列した時に彼女の家の仏教宗派が浄土真宗だと聞いて、私がこれまで勉強していた仏教が自力や他力という表現は間違っていますが絶対他力の浄土宗や浄土真宗以外に偏っていたことに気付き、遅まきながら浄土宗や浄土真宗の勉強を始めました。

2年経過し、最近の私は浄土真宗の妙好人(みょうこうにん)と言われる讃岐の庄松さんや石見の浅原才市さんが言っていた内容を読んでいます。世界的な仏教学者であった故鈴木大拙先生が見出して有名になった妙好人の方々です。

石見の浅原才市さんは言っています。
「阿弥陀如来様、どうぞ、私の煩悩(悩みの種)を取り上げないで下さるな。煩悩がないと、あなたのお慈悲のありがたさが分かりませぬ。」

仏教は「良い」対「悪い」、「天国」対「地獄」、「幸福」対「不幸」等々の対立を超えることを目指しています。超個の個、絶対矛盾的自己同一を理屈抜きで感覚として掴むこと、それが悟りです。

最近の私は皆から「最近のご機嫌はいかが?」と問われた時、
「味わいある日々を過ごしています。」
と言うようにしています。
幸福な日々=味わいある日々、不幸な日々=味わいある日々、天国にいるような幸せな日々=味わいのある日々、地獄にいるような苦しい日々=味わいある日々ですね。

でも私はまだまだ悟れていないようです。相変わらず、不幸な日々を味わいある日々とは思えず、本音ではやはり不幸な日々と思う自分がいます。

なかなか石見の浅原才市さんの境地に近づけません。恥ずかしいです。

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