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普通は普通じゃない。8人姉弟に生まれて

#一人じゃ気づけなかったこと  に絡んで書いてます。たまにはこんなテーマでさらっと書いてみるのも良いかなと思い、書きました。

普通ではない人生?

自分は8人姉弟の7番目に長男として生まれました。しかも上6人はすべて姉であり、私の下は妹、つまり大家族かつ、女の中の男1人状態で育ちました。

また父と母は私が生まれた頃にはすでに熱心なクリスチャンであり、実は、私はこれまでの人生で神社、お寺に一度も初詣もお参りもしたことがありません。日本のクリスチャン人口はわずか1.5%ほどだそうです。

また妻とはかれこれ10年近く遠距離恋愛の末、結婚しましたし、就職は就職活動せずにアルバイト先にそのまま新卒として入社しました。

さらに自分は成人男性としては珍しい160センチ満たない身長ですし、105歳になっても自力で歩いてトイレに行く祖母とも二世帯住宅で暮らしています。

どのことについても、初めてあった人からは「すごいですね」「変わってますね」などと言われます。そんな自分を今は気に入ってたりします。

特に家族構成については、アルバイト面接の落ち無しに貢献しました。当時の履歴書には家族欄があって補助線引かないと全部書けなかったのですがそこを面接でいじってもらえれば必ず合格できたのです。またいろんな飲み会の鉄板のネタとしても活躍しました。(妻からはきっと多くの初対面の女性はその話聞いたら恋愛対象でなくなってたと思うよと言われ、確かにと今更気付きましたが)

という人から見れば、一風変わった人生と言われますし、普通ではないと言われて悩んだ時期もありましたが、やっぱり自分にとってはこの人生しか歩んでいませんので、これが「普通」として生きてきたわけです。

普通ってなに?

「普通」ってなんでしょうか。普通がいいとか、普通でいいとか言う人がいます。でも、その人が言う普通も海外へ行けば普通ではありません。

家で靴は脱がないし、箸は使わないし、風呂には浸からないし、トイレにウォシュレットはおろか、トイレットペーパーや便座が置いてない国もあります。

またこんな話もあります。結婚式の招待状を送った親戚の名前を失礼にも間違えてしまい、「常識がない」とお叱りを受けたのですが、その方からのご返事は私宛の「行」を「様」に変えてませんでした。

「普通」「常識」って詰まるところ「多くの人が同じ」ということかなと思いますが、先ほどお伝えしたように地域、国など、対象をどこまでの母数にするかによって「多くの人」の答えは変わってしまいます。

多くのまわりの人と違うことを悩む部分は皆それぞれあると思います。それがコンプレックスになってる人もいるかも知れません。

でも先にあげた変わってるとされる特徴も、すべてにおいて、それによって得られるのはメリット、デメリットそれぞれがありました。

ということで、何が言いたいかというと、人から相談ごとを受けることの多い私ですが、意外に「普通」「常識」でないということで悩む人が多いのですが、その必要はないんじゃないかというとりとめのない話でした。

最後に私の好きなアインシュタインの言葉をお伝えします

「常識とは18までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

今、私は「多くの子どもたちにとっての普通・当たり前をより良いものに」するべく、子どもたちの取り巻く環境をより良くするために頑張っているわけなのですが、これからも普通、常識という言葉に思考停止せず挑み続けたいなと思います。

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