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金属バットの話

※朝井リョウさんの「正欲」を読んでいる最中なので、
 あからさまに影響を受けているかもしれません。
 この星との摩擦、明日死にたくない人生、
 正しい命の循環・・
 終始ウンウンうなずきながら拝読しています。

生きることと死ぬことが目の前に並んでいるとき、生きることを選ぶきっかけになり得るものをひとつでも多く見つけ出したくて、書きました。

ー朝井リョウ

生き死にのことばっかり考えちゃうなあ。
なんでかなあ。


■先週のこと

自分がいなくなったときに泣いてくれる人を
一人でも増やすために
いろんな人に会いに行くことを数年続けてきたけど、
増やしたところで3日ですぐ忘れられちゃうなら
その分(?)一緒に過ごしたほうが
いいような気がしてきた。
(「恋人と親は悲しむが 3日と経てば元通り」
  って森山直太朗が言ってた)

大好きな先輩2人とご飯を食べながら、
ふと自分がいなくなった後に先輩ら2人だけで
話しているシーンを想像してみたら、
それがあまりにも淡白で、
でもとてもリアルだったので、
あーこんなもんかーと馬鹿らしくなった。

会いたきゃ会えばいいね。生きてでも。
しかしいつでも会えるとは思わないこと。
久しぶりに2人に会えてとっても楽しかったなあ。
大好きってちゃんと伝わってるかなあ。


■寂しさのこと

お布団に入って電気を消した後、
やめておけばいいのに自分の死に際のことを妄想する。
と、なぜか、
年老いて病床に就いていて、体に力が入らなくって、
「つらい」なのか「たすけて」なのか
「ありがとう」なのか「さよなら」なのか
何か言葉を発したいのにそれもできず、
目を閉じて暗闇の中でそのまま・・・
っていう姿を思い浮かべるけど。
老衰かつ病院で逝けると思ってるみたいで
若干めでたいなって気づいた。
予兆も余韻もなく突然絶たれることだってあるのに。
もしかして長生きしたいの?

目を閉じた後、
意識だけ残ってるっていうのが一番怖いな。
そんなわけないんだろうけど、
なんせ知り得ないからな。
死後の世界はなくていいよ。スパッと終わってくれ。

上述の先輩と話したおかげで、
自分の寂しさの正体がわかった気がした。

その先輩にとっては、
寂しさ=
 独りでいることが辛く、
 寄り添ってくれる誰かを欲する気持ち
のようだったんだけど、
自分にとっては、
寂しさ=
 心の穴を埋めようとして対策を講じるも
 思うように埋まらず、
 そんな都合の良いピースなんか存在しないのでは、
 と悟りかけた時の気持ち(長い)
のような気がしてきた。

結局自分の問題なんだなー。
さらに自分の場合、
これからの人生で隙間を埋めるピースが
見つかるタイプのものではなく、
今までの人生で埋められないまま
見過ごされてしまったタイプのものかもしれない。
心当たりはあるし、もう取り返せない。
だから今周りにあるもので
埋めようとすること自体が無駄、
不可能なんだなーたぶん。

わたしのために用意される物事は、
大人になるにつれ身の回りから減っていく。
だんだん独りになっていくようにできていて、
反比例するように努力してやっと維持できるんだな。
大人になってから感じる寂しさってもしかしてみんなそういうもの?
わたしは最近気がつきました。
そうなってくると、
もう抱えて生きていくしかないねこりゃ。


■おまけ

前に向かうから胸の穴に風が吹く

ーVernal Times/渡會将士

↑胸に穴が開いてる前提っていうのもいいし、
 前に向かってるのもいいし、
 風が吹くっていうのもいい。とにかく全部いい。
 語彙なし!

みんな違って どうでもいい

ー金属バット/友保隼平

↑突然の金属バット。すきだなー。
 あの見た目のインパクトで
 ちゃんと漫才するの最高だし、
 コテコテの関西弁も最高だし、
 フラッドの対バンオファー
 受けてくれるのロックすぎ。
 なんだKINZOKU Bat NIGHTって。
 楽しかったぞ。



わたしの人生では、遅かれ早かれこんなことを考えるようになっていたんだろうか。
毎秒ごとに別のバージョンのわたしは失われていくので、知りようがないけれども。


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