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【声劇】この胸に抱かせて〜怪異前世譚〜(2人用)

利用規約:https://note.com/actors_off/n/n759c2c3b1f08
♂:♀=1:1
約20分~30分
上演の際は作者名とリンクの記載をお願いします。

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【配役兼任表】
私♀:女性。 家族を失い、生きる希望を失った老婆。 学生時代は短距離走の選手だった。 ミチルと兼任。
ミチル♀:女性。 家族を失い、生きる希望を失った老婆。 学生時代は短距離走の選手だった。 ミチルと兼任。
アキト♂ :男女不問。男性推奨。家を飛び出して、数十年ぶりに電話をする。 他の役を兼任。
コーチ♂ :アキトと兼任。私の学生時代の短距離走のコーチ。 後に夫となる。アキトの父親。
警察♂ :警察。 コーチの事故の現場検証にあたっている。 アキトと兼任。
脳内再生♂ :私の脳内の中で流れる実況。 活舌が良く、早口だけれども……まぁそれなりに頑張る。 アキトと兼任。
駅員♂ :私の家の最寄り駅の駅員。 夜遅くまでご苦労様です。 アキトと兼任。
カズ♂:いけ好かない男。なんでか分からないが金を持っている。 ミチルの彼氏。 アキトと兼任。
救急隊員♂:救急車で事故現場に到着した救急隊員。 アキトと兼任。
料金所♂:料金所の人。 アキトと兼任。
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アキト:「(電話越し) もしもし母さん……?
その……ごめんな、今まで。ずっと俺の事を思ってくれていたのに……俺、自分勝手でさ」

私:「っ……」

アキト:「俺がガキだったんだ……ワガママで勝手に飛び出して──許して貰えるとは思ってない。
ただ……どうしても、母さんの声が聞きたくなってさ──」

私:「──自分の子供のワガママを許さない親が、どこにいるんだよ」

アキト:「っ!?」

私:「私の方こそ……ごめんなさい……あなたの為と思っていたのが……逆にあなたを苦しめて──」

アキト:「──それを分かってなかった。俺、本当にガキだった……ごめん」

私:「うん……うん……アキト……久し振りだね? 元気でやってるのかい?」

アキト:「っ……うん……」

私:「そうかい……それなら良いんだよ。
どこで何をやっていようと、アンタが元気に過ごしてくれている。それだけで、母さんにとっては、これ以上の幸せなんて無いもんなんだ」

アキト:「うん──母さん!」

私:「ん……なんだい?」

アキト:「あの……俺、父親になったんだ」

私:「……え?」

アキト:「大切な人が出来て──式はまだ挙げられていないんだけど、籍(せき)だけ入れて……そして、子供が出来た」

私:「あっ……え? アキト……アンタ──」

アキト:「自分の子供を抱いてさ。そうしたら、無性に母さんに会いたくなった……母さんに『ありがとう』って言いたくなった。
でも俺、勝手ばかり言って家を飛び出して──」

私:「それって……私の──」

アキト:「あぁ、母さん──お婆ちゃんに、なったんだ。
目元なんか母さんにそっくりなんだ。今度、妻と一緒に── (電話が切れる)」

私:「あ……あぁ……あの子に……子供が? 私に……孫が──」

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コーチ:「on your mark.オン ユア マーク
get setゲットセット──Go!!!ゴー!!!

私:「っ! (走る)」

コーチ:「オーケー!! 良いスタートだナツミ!! 腕の振りもさることながら、お前は耳が良い。そのスタートなら、オリンピックも夢じゃない!」

私:「はいっ、ありがとうございます!!」

私M:「学生時代、私は陸上部で100メートル走の選手として、練習に明け暮れていた。
コーチのおかげもあり、タイムは日に日に縮まっていき、学校からは『オリンピック最有望選手』とまで持て囃(はや)された。
しかしある日、私の母が病に倒れ、その看病に負われる日々を過ごし……オリンピックへの夢はついえた。学校は今までの待遇から手の平を返して、私に冷たい視線を浴びせた。
母は、命の火が消えるその瞬間まで私に『ごめんなさい』を繰り返し、そしてそれが、最後の言葉となった」

コーチ:「お母さんの事は……本当に──」

私:「いえ……母の事は、仕方が無い事です。
元々身体が弱かった……父も早くに亡くして、私を一人で育ててくれた……
無理をさせてしまっていたのは、私なんです」

コーチ:「それは違う! 子供の成長を願うのは当たり前の事だ! お前のお母さんは──」

私:「──コーチ! オリンピックに連れて行けず……すみませんでした……」

コーチ:「っ!? ……気にする事じゃない! 学校は知名度と金の事しか考えていないんだ!! お前が謝る事じゃない。
何もかもを抱え過ぎるな……お前はお前の人生を走れば良い。
陸上から離れても、俺はお前の──ナツミのコーチだ」

私M:「陸上の世界を離れてからも、コーチだけは私の相談に色々と乗ってくれた。
勉強の事……仕事の事……生活の事……恋愛の事……
私もコーチの話をたくさん聞いた。今の選手の事、練習メニューの事……」

コーチ:「やっぱり、オリンピックを目指せる様な選手は、なかなか現れないもんだな!
ナツミも、ウチのOBおーびーとして、たまには顔を出して、選手達にアドバイスを──」

私:「──私は」

私M:「私はもう、走る気力を失ってしまった……。母を看取ったその時に、私の頑張る意味も一緒に、天に送ってしまった」

コーチ:「そうか……分かった。俺はこれ以上何も言わない。しかし『走る事を止めても、前には歩き続けろ』ゆっくりで良い。俺もお前の歩幅に合わせて、歩くだけだ」

私M:「それからもコーチは私と会って、そして支え続けてくれた。それから私達は──」

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コーチ:「元気な男の子だ!! ははっ! こんなちっこい──はぁぁ〜……ナツミ、ありがとう」

私:「ん〜ん……私の方こそ♪
ほら、あなたのパパですよぉ♪」

コーチ:「おっ──今、笑ったか?」

私:「えぇ、もう分かるのね♪」

コーチ:「そうか……そうかぁ!! あぁ、俺がパパだぞ!! いっぱい、いっぱい、大きくなるんだぞぉ!!
おっ、また笑った!」

私M:「私達は幸せだった。あんな事が起こるまでは……」

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警察:「居眠り運転の車に巻き込まれて、ご主人様は……」

私:「そんな……嘘です! だってあの人は『アキトの運動会でカッコイイ所を見せるんだ』って、笑顔でランニングに出かけたんです!! 『すぐに帰るから』って!!!」

警察:「奥さんっ、落ち着いてください!!!」

私:「嘘よ!! こんなの──嘘よっ!!! あの人に合わせて!! あの人を返してくださ──うっ!? (倒れる)」

警察:「奥さん!? 誰か! 救急車を──早く!!!」

********************

私M:「私とアキトは、あの人が残してくれた保険金で、ギリギリの生活を強いられる事となった。どれだけ生活を切り詰めても、生活費は徐々に尽きていく……私はパートの時間を増やし、足りない分はまた別のパートを掛け持ちした。
そうすると、自然と子供と接する時間は無くなって行く……」

アキト:「……」

私:「こんな遅くにどこ行くの?」

アキト:「どこだって良いだろ……俺、もう帰らねぇから」

私:「アキト、何を言って──学校はどうするの!!」

アキト:「辞めた事も知らねぇくせに、母親面すんなよっ!!!」

私:「……えっ?」

アキト:「仕事仕事仕事仕事!! 俺が何をしていようとお構い無し!! 俺なんて居ても居なくても変わらねぇじゃん!!! 一度でも俺の話をまともに聞いた事あったかよ!!!」

私:「それは……それはあなたを──」

アキト:「ちっ……じゃあな!!」

私:「ま、待って!! 待ってアキト──アキト!!!」

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私M:「私が触れたら壊れていく……人も……家族……大切な人達全てが、
私の元から消えていく。
ねぇアナタ──私はどうしたら良い?
ねぇアナタ──私、疲れた」

私:「もう……アナタの所に──」

私M:「アナタの仏壇の前、私は縄を吊るす。あの世とこの世を繋ぐ、首がひとつ入る程度の小さな輪っか──笑顔のアナタに見守られながら、私はアナタに、会いに──」

私:「ぐっ……あぁが……」

私M:「ずっと苦しかった!! ずっと悲しかった!! 心が休まる瞬間なんて一瞬だった!!! この瞬間、この一瞬の苦しさを越えたら、またアナタに── (縄が切れる)」

私:「あがっ──がはっ! はぁ、はぁ……どうしてよ……どうして切れるの? なんで!! なんでアナタの元に行かせてくれないの!!! どうして死なせてくれないの!!! あぁぁぁぁ!!!!」

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私M:「それでも私は、仕事に行き続けた。いつかアキトが帰って来るかもしれない。
帰って来たら、お肉をご馳走してあげよう。
帰って来たら、今度は時間をとって、ゆっくりと話をしよう。
たった二人の家族……あの人が残してくれた、私の宝物」

コーチ:「走る事を止めても、前には歩き続けろ……ゆっくりで良い」

私M:「私は……ゆっくりと歩き続けた──」

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アキト:「あぁ、母さん──お婆ちゃんに、なったんだ。目元なんか母さんにそっくりなんだ。今度、妻と一緒に── (電話が切れる)」

私:「あ、あぁ……あの子に……子供が? 私に……孫が──
孫に……孫に会いに行かなくちゃ……私の孫に──会いたい。私の家族に──
っ!? そうっ、まだ確かタンスに、捨てないであったはず……あの人が大切に残してくれていた私の──ランバードの靴……」

(以降、ずっと電話がなり続ける)

脳内再生:「on your mark.オン ユア マーク

私:「(着替える) 馴染む……私の輝いていた頃……あの人との、遠い遠い思い出……
そう……両手の指を床に……肩幅よりも少し広く。
左足──膝を立て……右足の膝は後ろ──床に、つける」

脳内再生:「get setゲット セット

私:「腰を高く──もっと高く上げる……体重を前へ……もっと前へ。
前足の膝の角度、90度。後足の膝の角度、120度──」

コーチ:「ナツミ、調子はどうだ?」

私:「はい──身体が軽いです」

コーチ:「そうか!! 見に来た人の度肝どぎもを抜いてやれっ! 進む事を諦めなかったナツミなら出来る!! 俺はそれを知っている!!!」

私M:「老いた身体に血が流れ、巡っていくのが分かった。衰えていた足に、腕に、心臓に……
覚えている──何百回と繰り返したこのスタートを……
覚えている──何百回と繰り返した私の走りを……
覚えている──何百回と繰り返し聞いた──コーチの声を……」

私:「はいっ!! アナタ──」

脳内再生:「──Go!!!ゴー!!!

私:「っ!!」

脳内再生:「(実況) 今ナツミ、鋭いスタートを切りました!
何十年も前に流行し、綺麗に履き古したランバード。
夫を無くした後、お洒落なんて気にした事もありませんでしたので、ひとり息子との通話の際に着ていた、着古したババシャツが風になびきます。
家の扉は開けっ放し、しかし田舎の防犯、一度だって鍵をかけた事はありません、このナツミ。振り返る事無く、普段歩き慣れた道を颯爽と走り抜け、1つ目のコーナー。左に曲がれば息子の通っていた小学校へと繋がる道を、駅へと向かう道、直線コースを選びます。
一秒でも早く、一寸でも前に、そんな気持ちが溢れ出る、全盛期。彷彿とさせる良い走り──」

私:「私に孫──
私の孫──
私に孫──
私の孫──」

脳内再生:「慢性的に鈍痛どんつうが響いていた腰の痛みも何のその。
最近では、階段を上る事さえ避けておりました膝の痛みも、今や何も感じない。
アドレナリンが全身を駆け巡るが如く、走る姿はまさにオリンピックを目指していた、若かりし頃のナツミそのものであります。
夜の闇は深く、景色を楽しむ明かりは、頼りない月明かりだけではありますが、身体が覚えております。何十年と住み慣れた、歩き慣れた近所の道。
そもそも行き交う人もほぼ居ない過疎の村、出会う人はみんな顔見知りでございます」

私:「ここに段差──
そして坂道──」

脳内再生:「飛び出したビワの枝、盛り上がった街路樹の根っこと、行く手を阻む障害物を、速度を緩めること無く華麗にかわしていきます。
たるんだ皮膚が羽の様にも見える軽やかな走り。何十年もブランクがあるとは思えません。
緩やかなカーブをインに入り、少しでも距離を稼ぐコース取り。排水溝ギリギリを攻めますが、当然ナツミ、そこを分かっております。遠い昔に息子がそこで足を挫いた、いわく付きの溝。歩けなくなった息子を家までおぶって帰った思い出があります」

私:「頭のてっぺん──
蹴り足──
頭のてっぺん──
蹴り足」

脳内再生:「真っ直ぐ一直線に並んだ『頭、胸、腰、足』──美しい理想的なフォーム。衰えているはずの全身の筋肉から伝わる最大限の力で、大地大きく、そして力強く蹴り進んで進んでいきます所で──最寄りの駅までの最後の直線!
ファストフード店が建ち並び、夕方はチラホラと賑わう駅前広場。
今の時刻は深夜の一時、あと一時間で丑三つ時になろうかという所、明かりが灯っているのはコンビニエンスストアだけ。
夫を仕事に見送った一日に五本しか来ないバス停を横目に、今っ、最寄りの駅へと辿り着きましたぁ!!」

私:「切符切符切符切符──」

駅員:「お婆さん、どうしたのこんな夜中に──」

私:「っ!? 駅員さん! 私、行かなくちゃならないんです!! 早く孫の所へ!! 家族の所へ──」

駅員:「いやいや、もう終電も終わっちゃってるから……
えっと、明日の始発は──」

私:「──そんなの待っていられない!!! 今すぐに行かなくちゃならないんです!!!」

駅員:「いやぁ〜参ったな……どこまで行くのか分からないけど、もう終わっちゃってるからねぇ──」

私:「──どこまで──っ!? どこに!!」

駅員:「あっ、始発だと、朝の五時十二分に──」

私:「っ!? (電話に出る)」

アキト:「──やっと出た!! もしもし、母さ──」

私:「──もしもし!! あんた、今どこにいるのっ!?」

アキト:「──え?」

私:「どこにいるの!! 東京、大阪、名古屋、福岡、沖縄、北海道──!!」

アキト:「あっいや、俺は今、東京── (電話が切れる)」

私:「──東京!!! 東京まで!!! 駅員さんっ東京まで!!!!」

駅員:「いやだから、もう電車は終わってるし、東京に行く新幹線も、始発を待たないと──」

私:「──東京」

脳内再生:「on your mark.オン ユア マーク

私:「東京、まで……」

駅員:「っ!? お婆さん、どうしたの!? しゃがみこんで……大丈夫!?」

私:「get set.ゲット セット

駅員:「おぉっ!? な、なに?? お、お婆さ──」

私:「──Go!!!ゴー!!!

駅員:「なっ!? お婆さん!! お婆さん!!! お婆さぁ〜ん!!!!」

私:「東京──
東京──
東京──」

脳内再生:「さぁ再び華麗なスタートを切りましたナツミ。最寄りの駅がゴールと思っていたのに、とんだ遠回りをしてしまいました。
愛用している入れ歯の奥歯を深く噛み締め、一心不乱に腕を振ります。
鬼気迫る表情、それに引き換え、ランニングフォームは理想その物の走り、年齢を感じさせない美しい走りです」

私:「東京──
東京──
東京に──
孫──」

脳内再生:「普段、電車やバスを使って行動しておりますから、ここから先は未知の領域となります。
向かう方角は分かっていたとしても、頼りない街灯と月明かりだけの道を走る訳ですから、転倒の可能性も視野に入れなくてはなりません。転倒してしまっては一大事です。
ナツミ自体、怪我で走る事をやめた訳ではありませんが、その様な選手を何人も見てきました。一度の転倒が命取りとなる競技──それも、ナツミも年老いてしまっているので、なおさら危険が付きまといます。それが短距離走であります。
そして今、病院前を通過──この区域では一番大きな病院で、ナツミがアキトを産んだ、実に思い出深い病院でもあります」

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コーチ:「元気な男の子だ!! ははっ! こんなちっこい──はぁぁ〜……ナツミ、ありがとう」

私:「ん〜ん……私の方こそ♪
ほら、あなたのパパですよ♪」

コーチ:「おっ──今、笑ったか?」

私:「えぇ、もう分かるのね♪」

コーチ:「そうか……そうかぁ!! あぁ、俺がパパだぞ!! いっぱい、いっぱい、大きくなるんだぞ!!
おっ、また笑った!」

私:「ふふふっ! ──それでパパ? 名前は決まった?」

コーチ:「はははっ! なんかパパって、むず痒いな──
あぁ、決まった。
二人の名前──ハルキとナツミ……俺達の先を走って欲しい!
だから名前は──」

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私:「アキト──
今、母さんが──
行くから──
私の孫を──
抱かせて──」

脳内再生:「一つ、二つと地獄の坂を越えていきます、ナツミの独走。
家族旅行。夫の車で通った事のあります、この峠。突如、鹿が横切って、危うく事故になりかけた、危険な思い出がございます。
急ブレーキの際、夫の腕が無意識にも関わらずナツミの身体を支えたのが、今も変わらない夫への愛の思い出。思い出す度に未だに胸が高鳴る不静脈。
さぁここから下り坂に入ります! 緩やかなコーナーのS字カーブが続く、通称『蛇の道』」

私:「っ! 孫──
孫──
孫──
孫──」

脳内再生:「そこをさらにナツミ加速! 加速!! 加速!!! 対向から走って来る車のライトに意識を向けながら、下り坂でも前傾姿勢を崩さずに、一筋の風になります!!」

私:「抱く──
抱く──
抱く──
抱く──」

脳内再生:「家族を見送りました。
父、母、夫を亡くし、子供は家を出て行きました。
ずっと一人、自分は一人。そう思って今まで生きて参りました。もう二度と悲しい想いをしたくない。だから色々な事から距離を置いてきました。
ご近所さんと関わる事も、滅多にありません。仲良くなると失った時の苦しみが耐えられない。そう思って今まで淡々と人生を送って参りました。
ただ夫の言った『歩く事はやめるな』の言葉だけを胸に、ナツミは幾重にも歳を重ねて参りました」

私:「歩く──
違う──
走る──
私──
走る──
アキトの所に──
孫の為に──」

********************

アキト:「ママ……父さんは?」

私:「……っ……」

アキト:「ねぇ? いつ帰って来るの?」

私:「パパは……もう……」

アキト:「……? もうすぐ俺の運動会だから、張り切ってるのかな♪」

私:「……っ」

アキト:「俺、リレーのアンカーにも選ばれたんだ! 中学に入ったら、陸上部に入る!! そしてママとパパをオリンピックに連れてく!!!」

私:「──っ!? アキ、ト……アキト!!」

アキト:「何!? どうしたの??」

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私:「私の──
孫が──
私の──
オリンピック──」

脳内再生:「長い険しい夜の峠を越えて、明かりがポツポツと灯る郊外へと下って参りました!!
ここからは深夜でも休む事無く働く信号機が、ナツミの行く手を妨害致しま──おぉっと、ここでナツミ、大きくUターン!!
坂を登るっ坂を登る! 足への負担を気にすること無く、日本の経済を支える車の橋──高速道路を駆け上がって行きます!!
高速道路内に歩行者が立ち入ることは、大変危険な行為。絶対にやっては行けない行為であります!
高速自動車国道法17条においては『何人もみだりに高速自動車国道に立ち入り、または高速自動車国道を自動車による以外の方法により通行してはならない』と定められておりますその高速道路をためらわず駆け上がります!!」

私:「東京方面──
東京方面──
東京方面──
東京方面──」

脳内再生:「信号を避ける為の最終手段。
ここまでずっと全力疾走を続けておりますナツミ。車の免許も持っていないナツミ。車の交通ルールも常識も、頭の中にはありません。あるのは『赤は止まる』『青は進む』『黄色は時と場合』という曖昧な知識だけ!!
ゴールである東京に──息子のアキトに、そして孫を抱くという事だけ、それだけの為に老いた身体に鞭を打っております」

********************

私:「あなた、アキトがトイレに行きたいって──」

コーチ:「えぇ〜本当か、参ったな。
高速に入ったから、しばらくは何もないぞ……アキト、どれくらい耐えられそうなんだ?」

私:「……ヤバいだって」

コーチ:「おいおいおいおい……だから、さっきのコンビニで行っておけって言ってたんだぞ」

私:「アナタ、もれそうだって……」

コーチ:「ん〜仕方ない。絶対にダメだけど…… (ため息) 今回だけ」

私:「え? 高速道路で止まるの?」

コーチ:「アキト、本当はダメだけど、端っこでして来なさい」

私:「……恥ずかしいって」

コーチ:「──だったら、次からは高速に入る前に、ちゃんとトイレに行っておきなさい。
ほら、そんなに長くも止まっていられないんだから、早く行きなさい」

私:「ほら、アキト──」

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私:「早く──
早く──
もっと──
早く──」

料金所:「──えっ? ちょっとお婆さん!! 入っちゃダメだよ!!!」

私:「もっと──
もっと──
もっと──
早く──」

脳内再生:「誰より早く、何よりも早く。0.1秒を競う競技、それが短距離走──しかしこの距離はまさに長距離走。
ペース配分を考えず、常に全力で走り抜ける。
ナツミにとっては短距離走と同じ、0.1秒でも早く孫を抱きたいという強い思い、0.1秒でも早く家族に会いたいという激しい思い。
その思いを力に料金所を潜り抜け、高速道路を疾走して行きます。
時刻は深夜の2時30分──草木も眠る丑三つ時を回っております。
高速道路を走る車は、昼間の乗用車から大型トラックに姿を変え、まさに黒人と肩を並べるかの様な大迫力のレース」

私:「どっけぇぇぇぇえ!!!!!!」

脳内再生:「──それでもナツミ、負けておりません。車線変更をしてくる2トントラックに、クラクション代わりの奇声。ルートを確保して、次々とゴボウ抜きして参ります!!」

私:「どけぇぇぇ!! どけぇぇぇえ!!!」

脳内再生:「足が、ヒザが、ヒジが、ギシギシと鈍い音を鳴らします。
肺が、心臓が、限界を超え、自らの耳にその音を響かせます。
尚も止まらないナツミ。視線の先には、常に東京を見据えております!
ババシャツをたなびかせた、ランバードの老婆が、高速道路に一本の道筋を作る!
白髪がトラックの風圧に暴れ狂う、白馬の── 一角獣の如き疾走!! 幻想、空想──いや、現実の老婆の暴走!!!」

私:「どぉぉぉけぇぇぇぇえ!!!!!」

脳内再生:「聴こえていますでしょうか!!
高速道路のトンネルに響き渡るこの大歓声!!
上下左右全方向からナツミに送られる喝采かっさい。ナツミを見送るトラック達が反響させる声援!!
止まらない、止まらない。
数百キロ先のコースは、ナツミの歩いて来た道よりも長い!!
この何十年の遅れを取り戻す為、ナツミは光となり走ります」

私:「うぉぉぉぉお!!!!!!!」

*******************

私:「アキト、頭は真っ直ぐに前を──ゴールを見て」

コーチ:「腕を大きく振るんだ──良いか? こうだ」

私:「地面を蹴った反動で足を高く、前に──」

コーチ:「そうだ!! 良いフォーム!! それを忘れるなよ♪」

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私:「どけぇぇぇぇえ!!!!!」

脳内再生:「ナツミが走る追い越し車線、なにやら蛇行している様にも見えますね……実に危険な運転をするトラックがあります。
ナツミ、これを右にかわそうとする──が、そのトラックも右へ! 抜かせない気でしょうか?
ナツミとトラックの距離が徐々に近付いて──迫って参ります」

私:「どっけぇぇぇぇぇえ!!!!!」

脳内再生:「右へ左へ、ナツミの孫へと続くコースを塞ぐ迷惑運転!!
通常の車ならブレーキを踏んでスピードを緩める所ですが──ナツミ、さらに回転を早めた!
強引に左の車線へコースを変えて、一気に追い抜く算段でありましょう!! ナツミ、縮んだ身長の上に、さらに姿勢を低く──さらに腕を振り加速加速っ!! 人間の──老婆の限界を超えてもなお、家族の為にの限界はまだまだ遠い!!!」

私:「うぉぉぉぉぉぉお!!!!! っ──」

脳内再生:「追い抜くはずのトラックっ、まさかの左車線へ強引に割り込んだ!!
これは接触するか!! まさかの進路妨害!!! ナツミ避けれない!! ナツミの何百倍の巨体が、ナツミに覆い被さる様に──」

(間)

私M:「私は──走る事を諦めて、歩いてしまっていた……走る足があったのに……
コーチと一緒に作り上げてきたのに……私はそれを、タンスの中にしまってしまった。
まだまだ走れたのに……私を応援してくれる声援に耳をふさいで──もう、終わったんだと、諦めてしまっていたんだ。
だから遅かった。
あの時に靴を脱がなければ……
あの時に下を向いていなければ……
あの時に前を向いていれば──
もっと早く……もっと早く……」

救急隊員:「居眠り運転か……まったく無茶をしてくれる。
それにしても、どうしてお婆さんが高速道路に──ん? なんで血がこっちの方向に飛んで──おいっ! 正面からぶつかったのか!!?
──横から? それだったら、こっちに飛ぶ訳が無いだろ。足跡みたいに、転々と飛び散って……」

私M:「アキト、すぐに行くから──
あなたの子供……私の孫。
今度は手放さない。
すぐに……すぐにおばあちゃんが行くからね」

*********************

アキト:「母さん……ごめんな。
俺の為に頑張ってくれたんだよな?
俺、母さんの事を何も分かってなかった。たった二人の家族だったのに……本当に、ごめん。
母さん、こいつが俺の息子──冬利とうりっていうんだ。
ほら冬利、おばあちゃんだぞ。
おばあちゃんはとても足が早かったんだ。
ずっとずっと、俺の為に走り続けてくれたんだ。
そして最後は、お前の為に──」

******************

ミチル:「はっやぁ〜い♪」

カズ:「だろ? こうやって風を感じながら、トロ臭ぇ〜車を追い抜いて行くのが、超気持ち良いんだよ♪
おらおら、俺の道をふさいでんじゃねぇ〜ぞ! このノロマァ〜!! はっはっはっ!!」

ミチル:「のろまぁ〜♪ キャハハハ!! カズ君、最高〜♪ キャハハハ、ハハ……? カ、カズ君……あれ、何?」

カズ:「あ?」

ミチル:「後ろから──凄い勢いで近付いて来る」

カズ:「ん〜、バイクだろ? 何馬力積んでんだよ……ははっ俺の車とやり合おうってのか?
ミチル、ちゃんと掴まっとけ! 抜かせねぇから♪」

ミチル:「う、うん……ライトも付けないで──カ、カズ君! 追い付かれてるよ!! カズ君!!!」

カズ:「う、嘘だろ……300キロだぞ!!」

ミチル:「す、すぐ後ろに!! ──嘘……」

カズ:「クソッ!! 抜かれ──た?」

ミチル:「おばあ……さん?」

カズ:「ば、ババァに……抜かれ──っ!? ハンドルがっ──」

ミチル:「カズ君──きゃあああ!!!!」

カズ:「うぁぁぁぁああ!!!!」

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