お伽話の幕引き


きっと今日の話も過去になって、
そんなことあったねくらいになるんだろうけども


べべちゃんが株主じゃなくなっちゃいます


わたしがはじめてイベントをお祝いしてから
今日までの間沢山のイベントをして、沢山の活動があって沢山の大変さがあって、微力ですが、それを私は見ていました。


彼女とは前にもnoteで書いたけど、決して最初から息があっただとか仲が良かった訳ではなく私自身があまり界隈での関わりを希望していなかったのでお近づきにならなくてもいいかな(というのが誰に対してもあるので別に仲が悪かったわけではありません)くらいだったけど、べべちゃんから歩み寄りを頂き今では「べべちゃん しゅりちゃん」ではない名前で呼べるくらいの関係性をもらいました。


おさーんの株主っていう立場は正直見えない責任があります
ここから先は私の勝手な考えを話しています

広告塔、という責任や役割があり、それを自認してそれぞれがやれることをやっています。
過ごして行く中で相手に対して笑って許せることもあったし笑って許せないことも勿論ありました。
そんな綺麗事じゃ収まり切らないくらいに向き合ったり考えたり伝えています。
人と人が対峙して何かを作り出してるんだから全部が全部、お伽話の様にハッピーエンドや綺麗に丸く収まる訳じゃないことだってあったりします。
何かを盲信してるわけじゃないし、感情があるし、感じ方があるし、考えや不満や心配や怒りや人間がある。

お伽話や童話は伝わって行く中でいろんな人の目に触れても気分を害さない様に角が取れ、丸くなり、朗らかなハッピーエンドに脚色されていきます。

ネットの世界では当たり前にデマや嘘が本当みたいに発言されたり、スワイプひとつで嫌なことが消せたり見れたり殺せたりします、勿論心温まるドラマよりドラマチックなことが見れたり知れたりもします。

ハッピーエンドを自分でバッドエンドにすることだって、他人が気付いたらバッドエンドを携えて待っていたりだってします


べべちゃんにとってどんな最終ページかは本人にしかわからないし私自身がわかりきれないことなんだけど、私自身は沢山の感謝があって、それをうまく具現化出来ないのがもどかしくて歯痒いのだけれど、また電話出来るのを楽しみにしています、って。


noteの更新は今までの様にコンスタントにはいきませんが、ぼちぼち更新はしていきますので、また宜しくお願いします





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