読了後の感想〜花津谷徹氏著「生命保険の数理:古典論から経済価値評価まで」を読んで

著者の方とは何度か話したことがある程度だと記憶しているが、たしか、私がまだ若手の頃、アクチュアリー会のセミナーに参加して、保険負債の経済価値評価に関するプレゼンをした際に講評コメントをいただいたり、セミナーの事務局を務めていた時代に話したことがあると思う。私の印象では、アクチュアリー会の中でもMCEV (Market Consistent Embedded Value)推進の旗を振り、リードするような存在だったと理解している。最近でこそ、MCEVは欧州では下火となり(認識が違う方がいらっしゃれば申し訳ありません。ご指摘ください)、Solvency IIに吸収されるような形となったため、私も実務上、最近はあまりEVという言葉を聞かなくなったが、技術的に折り合いのつかなかったところをMCEV原則がSolvency IIに歩み寄ったというだけで、本質的に経済価値評価、市場整合的評価を志向するという点には(いくつか本書でも指摘されるような問題を抱えつつも本質的には)何ら差異はなく、本質的重要性は今でも全く失われてはいない。
さて、以下、読後感想文である。

まず、面白かった。P250ほどの分量の中に、「生命保険数理にまつわるすべて」を凝縮したいのかと思うほどの充実ぶりである。Amazonのレビューコメントに「幅広い内容がコンパクト」と書かれているとおりであった。

私がこの類いの書籍を読むときに持つ視点は、
① 純粋に、これまで知らなかった新たな専門知識の獲得
② 自分の業務に活かせそうなアイディアの発掘
③ 専門性の高いことを平易に伝える伝え方の学び、ビジネスシーンで使えそうな、「かっこいい」フレーズなどの語彙力強化
である。本書に関しては、特に③に期待して読み始めたが、それはもちろんのこと、それだけでなく、実際には①もあったし、即効性はないものの、ポテンシャルには、上手く使えば②になりうる箇所も発見した。これだけあれば、書籍代はすでに十分にペイしているといって良い!

金利の話や古典的な保険数理から経済価値の世界へ誘う展開にもオリジナリティを感じた。
あまり装飾的ではなく、パラっとめくると難しく感じるかもしれないが、ちゃんと読んでいくと、無駄を廃して本質的なことだけにフォーカスしたい著者の美意識を逆に感じる。

レビューコメントにあるとおり、保険数理の初学者向けではないかもしれない。だが、最低限の数学的予備知識のある方であれば、本書を読んで得られるものは十分にあるので、初学者にはお薦めしないというわけでもない。
ただ、どちらかというと、すでに生保アクチュアリー実務に携わる方、アクチュアリー試験の生保数理を合格済みの方、古典論だけでなく確率論的保険数理を勉強した方が読んでも面白いと思う。一度は通った道をあらためて読み返すことで頭が整理されるという効果も期待できる。また、1次試験勉強中の方より、2次試験勉強中の方が経済価値ベースの負債評価を、単に分かった感ではなく本質的に理論的に理解するのにも良いかもしれない。

算式を中心に展開しながらも、適宜、平易な説明を挟んでいたり、いったん話を展開し終わった後に、若干余談のように入ってくる話が、学生などには唐突感があるかもしれないが、実務家からすると、うんうんと頷けたり、著者ならではの視点や著者の長い実務家としての経験に根差した含蓄が感じられて、非常に興味深く読めるところである。
もちろん、著者の経験に基づく実例にまではなかなか踏み込めないにせよ、著者の私見らしきことが述べられている箇所では、著者の実務家時代に、おそらく実際に直面したであろう課題認識が垣間見えて興味深く拝読した。特に11章以降の経済価値評価、ERM、ALMといったところでは、あまり書くとネタバレになるので控えるが、「経済価値ベースの規制が必ずしも市場整合的にはなっていない」といった指摘など、著者の想いが溢れている。特に、保険負債の評価に使用する金利には強いこだわりをお持ちなのが伝わってくる。
かと思えば、次の章では、一転して、確率積分が定義され、ショートカットバージョンとはいえ、伊藤の補題からGirsanovの定理まで登場する。これ以降、14章までは、測度論や金融工学の心得がないと少し難しいと思うが、ポイントはよくまとまっていると思った(細かい算式は追っていない)。より詳しくは、金利モデルに詳しい文献[8]あたりを参照するのが個人的な経験的にもお薦め。

なお、著者は、著者自身の実務経験に基づき、MCEV原則に基づく経済価値評価を展開しているが、Risk Marginに関する考え方は、Solvency II, MCEVにおけるCNHR, 国際資本規制であるICS (銀行で言うバーゼル規制に相当)、IFRS17号でどれも微妙に(ものによっては結構)異なることに注意されたい(著者自身、P192において、さまざまな流儀があることを注記している)。

P194からの某社の開示例については、著者のコメントの端々に、どことまでは言わないが興味深い内容が含まれている。

本書を読んで、TVOG、エコノミック・キャピタル、特に保険リスク、リスクマージンの計算実務がわかるという訳ではないが、特に実務家が、ただ単に作業的なところに習熟するだけでなく、その理論的背景をおさえるのには非常に有益だと思った。

繰り返しになるが、一部の天才的な方を除けば、初学者にとっては本書は少し難しく感じるだろう。というのは、本書は「生命保険数理のすべて」と言ってもよいような内容を1冊の中にまとめようとしている意欲作だからだ。そういった方はぜひ、本書の巻末にある参考文献から、読みやすいものを順に読むことをお薦めする。
ちなみに、参考文献の大部分は目を通したことのあるもので、ほとんどの書籍は書棚に入っている。
アクチュアリーを目指している方は、本書を読んで、自分はアクチュアリーには向かないのではないかと不安に感じる必要はない。生保アクチュアリー歴18年の私が読んでも面白い、新たな発見のある、アクチュアリーの大先輩の書いた書籍なのだから。

最後に、生命保険数理における経済価値評価としては、以下は鉄板である。
残念ながら、アクチュアリー会会員専用のサイトにあるので、会員しか読めないが、生命保険会社で保険負債の経済価値評価に従事する人でこれを読まなくても良いのは、自力で同程度の考察が行える、あるいは、すでに行ったことがあるという人だけであると言えるほど必須の論文である。この記事の読者層であれば、ほとんどの方はすでに読んでいると思うが、念のため。生保2の試験勉強にも良い。

勝野健太郎, Embedded Value計算の理論的側面からの整理, 日本アクチュアリー会会報第62号第1分冊(2009年)

以 上

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