「荒魂」としてのドゥームズギーツ解釈
Xでドゥームズギーツについて話した。
英寿/ギーツが神ならば、
エース/ドゥームズギーツは「信仰を失った荒魂」といえる。
人の手で何もかもデザインできる未来世界で、わざわざ神に何かを願う者が果たしてどれだけ残っているのだろうか?
浮世の人々と神との繋がりはとうに絶たれた。
自らを信じて戦った仲間達もこの世を去った。
信じる者/信じられる者との繋がりをもたない、
孤高にして最強のエース。
それは、考えられる限り最低最悪の英寿でもある。
そんな思考実験IFとして、ドゥームズギーツのキャラクターはとっても魅力的である。
絢爛なシャンパンゴールドの装甲と、畏るべき禁忌の警告色に染まった両眼。
神という概念が持つ、苛烈でシビアな裁定者としての側面を強調したかのようなデザイン。
まさに「荒魂」というべき御姿だ。
荒魂は、もっぱら信仰によって鎮められる。
しかしドゥームズギーツは、
人間に「信じられる」のではなく、
人間を「信じる」ことで鎮められた。
「信じる」という主体的・当事者的な行為によって人間とのつながりを思い出すその様は、現人神としての英寿のアイデンティティがエースの中にもまだ息づいていたことを感じさせる。
ドゥームズギーツのヒーローでもヴィランでもない独特のキャラ造形は、近年のシリーズでも非常に示唆に富んだものだった。大好き。
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