見出し画像

じっくり煮る意味・その8

 さて、料理の意味について考える記事もそろそろ大詰め。いろいろ話が広がってしまったので、ここで掘り下げたかった問題について、もう一度立ち戻ってみたいと思います。実は3回目を私、こんな風に締めくくっていました。

 料理を自分のこととして、捉えているかどうか。これ案外できていない人もいると思うので、続きを考えてみたいと思います。

 大人はたくさんの責任を背負っていますが、逃げたくなることってありますよね? 子どもみたいに誰かに頼って責任を放棄したくなる。30代の私がまさにそうでした。料理をして健康を守るのは、自分の役割なのに、夫がいるから夫に任せたい、誰か保護者になってもらいたい。これはお母さんの仕事だったんだから、何で私がやらなきゃいけないの。無自覚なまま、そういう甘えから抜け出せずにいました。だから料理することが苦しかった。

 ここ数年、社会で盛り上がってきた家事論争から、「何で私だけがんばらなきゃいけないの!」というデジャブ―感のある心の叫びが聞こえてくるように、私は感じていました。

 長い時間かかって自分なりにたどり着いた心境から言えば、がんばらなくてもいいけど、それはまず自分のためなんです。

 お腹が空いているのが自分だとすれば、料理はまず自分を満足させるためにすることです。家族がお腹を空かせているのだとすれば、その人を満足させることが自分の心の平穏につながるからやるので、それも自分のためです。誰かのためというのは、その次の問題なんですね。

 今、空腹感がそれほどなくても、家族が訴えていなくても、時間が来たら料理すべきなのは、それが後でお腹を空かせて困らないために必要だからです。そして長い先のことを考えれば、持病を抱えて通院する面倒を避け病院代を使わないで済ませるためです。もちろんそれは自分だけでなく同居する家族にとってもそうです。

 今この瞬間の「めんどくさい」をなだめて折り合うことが、その先の自分の安心や幸せを守るために役に立つんですね。つまりちょっと未来の自分を喜ばせるために、料理はしたほうがいいんです。だから、料理は自分のためだけだろうが家族のためだろうが、結局のところ、自分自身の問題なんです。二番目にその家族の問題となります。

 自分を喜ばせたい。そういう風に思うことが、実は結構大切です。しなければならないこと、と思うと重荷になりますが、お腹がいっぱいになった満足感を考えてみましょう。大切な人がうれしそうにする顔を思い浮かべてみましょう。

 食べたいものはありませんか? 使いたい食材や調味料はありませんか? あったまりたいとは思いませんか? 料理は、もしかすると欲望を満足させる手っ取り早い手段の一つかもしれません。ブランドの服を買ったり、遠くへ旅行するのは、すぐにできなかったりお金がたくさん必要ですが、ちょっとしたものを食べるぐらいは、簡単です。

 もしかするとあなたはまだ、簡単につくれる料理のレパートリーが少ないかもしれません。食べたいものが自分がつくれる技術に達していないかもしれません。でも、もし今この瞬間のイライラを解消するためでなく、自分を幸せにしたいと思えるなら大丈夫です。

 焦らずに少しずつできることをやりましょう。ネットにも書籍にも、簡単につくれる幸せレシピはあります。もしかするとお友達がコツを知っているかもしれません。

 例えば温かいスープをつくる。例えば電子レンジで蒸し野菜をつくる。ちょっと贅沢しておいしいお肉を買ってくる。イライラしているときには、おいしいものが必要です。とりあえず今日は外食で癒して、明日から料理に取り組んだっていいんです。やがて、ちょっとした幸せは自分で料理してつくれるようになります。そうしたら、その幸せを誰かと分かち合いたくなるかもしれません。このおいしさを一緒に!そんなときに家族や、家に呼べる友人がいればもっと幸せかもしれません。

 わが家には年末、お客さんが来ることになりました。私は初対面です。でもその人が来る、という口実のもとに、やってみたかった料理をすることが、今から楽しみです。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?