見出し画像

「名前のない家事」問題・後編

 前回、わが家を事例に、「名前のない家事」をどうやって減らすか工夫のポイントについて書きました。

 「名前のない家事」は、どこの家でも発生すると思います。買ってきた食材を仕分けして食品庫や冷蔵庫にしまう。洗濯物をたたんで引き出しなどに入れる。クリーニングした衣類を取ってくる。銀行振り込みや役所での手続きに行く。暮らしていると細かい雑用がたくさんあります。一つ一つは小さなことなのに、チリも積もれば山となるで、気がつけば夕方。気がつけば家族が帰ってくる時間になっている。そんな日々を過ごしている人は、案外多いのではないでしょうか。

 この「名前のない家事」はなくなることはありませんが、家族がそれぞれ衣類を片づけるなど自分のものを自分で管理する、ゴミ捨てを担当するならゴミを集めてきて袋に入れ、捨てた後はゴミ箱を所定の場所に戻すといった、分担した家事を最後までやり切ることによって、他の人の負担を減らすことが可能になります

 それがわが家で比較的最近スムーズになっているのは、20年近く一緒に仕事と家事をしてきて、連携がうまくいきだしたからだと思います。

「仕事」から「生活習慣」へ。

 先日、夫に「好きな家事は何?」と聞いてみました。すると「……そんなこと考えたことない。生活習慣の一部だからじゃないか。好きとか嫌いとか考えるから負担が重く感じられるんやで」と言われました。

 家事を「生活習慣」と考える――実はこれ、私が前に書いた『料理は女の義務ですか』の中で主張したことと同じです。夫が読んだかどうかは知らないですが、同じように考えているから、お互い多忙ながらなんとか家事が回っているのかと思って、ちょっとうれしくなりました。

 家族の人数が多く、家事を誰か一人で引き受けている場合は、「生活習慣」などと言っていられないかもしれません。幼い子供がいたり、介護しなければならない人がいても、その量は膨大になります。それはもしかすると「仕事」なのかもしれません。

 でも、家事を「仕事」と思ってしまうと、お金など見返りがないことがつらくなる場合があります。誰もほめてくれないのも悲しくなる。世の中の仕事はお金や感謝という形で評価されてこそ、やりがいが生まれるという側面が少なからずあるからです。

 生活習慣なら、誰か一人で全部やる不自然さに気がつきます。そして、慣れてきたら考える前に身体が動いて自然にこなせるようになります。歯を磨くように料理の下ごしらえをし、洋服を着替えるように布団の準備をする。そんな風に暮らせたら、今まで「家事」「仕事」と思っていたものが、いつの間にか勝手になくなっていくような気がしませんか? 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?