見出し画像

一汁三菜はマストですか

 これは今日の私のお昼ごはんです。残り物の肉野菜蒸し煮と、残り物のパクチー・山芋を和えたもの。お昼はだいたい残り物。残すように料理しておくんですね。毎日毎食一から作っていたら、家を職場にしている私には生活が成り立ちません。なので、けっこう一回にたくさん作って残り物を2、3回続けて夫と食べることがあります。毎日のことですもの、手抜きばっかりですし、それでいいと思っています。

 去年、土井善晴さんの『一汁一菜という提案』がヒットしました。それは、品数が多い食事をマストだと思っていた人たちが「それでいいんだ」と安心したからだといわれています。この本自体には、女性に対する良妻賢母的な理想像が見え隠れしていて、主張全部に私は共感していません。そのことは去年出した本、『料理は女の義務ですか』(新潮新書)でも書いたのですが、私が土井さんの本のヒットで驚いたのは、一汁三菜にすべきだと思い込んでいた人が、そんなに多かったことに対してでした。

 今年、「新しいカテイカ」の活動に関連して、20~30代のミレニアル世代の食卓についてのヒアリングをしています。その中で、結構皆さんが総菜や冷凍食品を買ってでも、副菜を入れようと努力している姿が印象に残りました。

 小さいお子さんがいる女性が、洗い物を減らそうと、仕切りがあるプレートを買って使ったところ、仕切りがあるために朝ご飯もおかずをそろえなければいけなくなったと話していました。そういえば、お弁当などでも何種類ものおかずが入ったものが、写真などのイメージでも多いのです。私たちは、もしかすると、世の中に流通しているイメージや商品から、一汁三菜を求められている、と思ってしまうのかもしれません。

 一汁三菜がデフォルトというイメージは、「きょうの料理」では1978年に懐石料理特集で初めて取り上げられ、その後いろいろな料理家が提唱するようになったことに影響があると思われます。1980年代には盛んに副菜として「小さなおかず」のレシピも紹介されていました。ミレニアル世代が育った時代です。彼女たちはもしかすると、一汁三菜が並ぶ食卓で食事をしてきたのかもしれません。

 でも本当は、ある程度の栄養バランスさえ整い、カロリーが取れれば、何品も食卓に並べる必要はないのです。ときには、どんぶりご飯だって、麺類だけでも構わない。一週間でバランスを取るぐらいの感覚で十分なのではないでしょうか。昔の日本人は今ほどバラエティがある食事をとることができなかったので、同じものばかり食べていたときもありました。品数が少ないこともありました。

 また、和食は小さなおかず、副菜のバリエーションが豊かですが、洋食のシチュー、中華料理の八宝菜などのように、そういえば、和食でもいり鶏(筑前煮)など、食材をいくつも使う料理があります。豚汁もありますね。そういう食材の種類が多い料理なら、ほかのおかずはいらないかもしれない。また、夏の暑い時期、トマトを切って、枝豆をゆでて、豆腐を並べたって食事は成立する。豆腐のどんぶりとか気楽でよさそうです。もしかすると食材の種類も少なくてもいいかもしれません。

 私たちは「正しい食事」にとらわれすぎではないでしょうか。もう少し楽に構えて、楽しくおいしく食べることを目標にするのが、いいかもしれませんよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?