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じっくり煮る意味・その4

 料理を見直した話、4回目です。前回は、料理は何のためにするのかを発見した話を書きました。

 でもその大切さを書いているうちに、前々回のラストでふった話までたどり着けませんでした。こんな感じで書いています。

そう。私は長く、料理とちゃんと向き合ってこなかった、という話でした。

それを、『小林カツ代と栗原はるみ』を書いているときに、発見したのです。トップに挙げた本棚は、その頃以降に集めた、資料としてのレシピ本・料理のコツエッセイ集です。特にエッセイ集には、料理研究家の方々の思いがこもっています。それは、「料理は楽しい。こうすればもっとおいしくなるから、おいしく食べましょう」というメッセージです。

 料理研究家は、当たり前ですが皆料理が上手です。上手なのは、センスもあるでしょう。でも、人に教えるほど、レシピを出せるほど上手なのは、料理と向き合い、たくさん料理をし、先生について学び、既存のレシピ本を研究し、おいしいお店を巡って味の体験を積み重ね、常にアンテナを張って料理について研究し続けてきたからです。

 江上トミさんのように、外国を回って土地の料理を研究してきた人もたくさんいます。有元葉子さんは、『わたしのベトナム料理』の中で、ベトナムでお店に通ってレシピを教わったエピソードを綴っています。とはいえ、ふだんの彼女たちがどのように料理を研究しているのか、知る機会は多くありません。栗原はるみさんは、『プロフェッショナル~仕事の流儀』に出演しておられたので、ストイックなほどの研究ぶりが紹介されましたが。

 そういう料理に対する真摯な姿勢を、たくさんの本を通して知って、私は恥ずかしくなったのです。

 もちろん私は料理をつくるプロではありません。そこまで研究する必要はありません。しかし、それまで自分は、家でつくる料理をバカにしていなかったかと気づいたのです。だから適当に、いい加減につくって、めんどくさいと思って、もっと他に大事なことがあるはず、と向き合わずに来たのです。それはなぜでしょうか? きっと、私と同じように料理に向き合っていない人は、ほかにもいるはずです。これ、けっこう深いので次回、改めて考えてみましょう。

 



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