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物語食卓の風景・昭和家族の妻③

 昭和に子育てをした立花洋子の物語、続きです。前回はこういう話でした。

 真友子が最後に帰ってきたのは、5~6年ぐらい前の春だったかしら。あのときは、珍しく香奈子のご主人の勝くんも、真友子のご主人の航二くんも来て、家族全員がそろった。記念写真も撮ったのよ。あのときの写真、何でないのかしら? あらいやだ、撮ったのは真友子だった。

 なぜ帰ってこなくなったのかしら。その年の夏に電話をしたら、「仕事が忙しいから」と言っていたわよね。お正月は「寒いから」と言われて。忙しさに紛れてということなのかしら……。いつもうるさそうにされるから、電話もなかなかできなくなってしまった。

 馬場さんと挨拶してから洋子が歩いていたのは、駅から数分のところ。神社の近くにある商店街だ。といっても、バブルが崩壊したあたりから商店街の店がへりつつあって、阪神淡路大震災でアーケードが壊れて古い建物がずいぶんと壊れた。洋子たちは、岡山市にある洋子の夫の秀平の実家へ身を寄せていたから、あの頃のこの町のことはあまり知らない。

 復興は大変で、しばらくしてから仮設店舗を建てて営業を再開する店もあったが、半分ぐらいの店は廃業してしまった。アーケードを取り外して再生した商店街は、店の間にふつうの住宅も混じる通りになってしまって、大勢の客でにぎわった昔の面影はなくなってしまった。商店街の中ほどにある肉屋は、その中でも数少ない継続店で、長年、店先で揚げるコロッケが人気だった。そのラードで揚げたコロッケを、洋子は気に入らないのだった。

 この商店街も、寂しくなったものね。洋子は思う。豆腐屋も、何年も前にご主人が腰を悪くしたとかで閉まったし、お使い物でたまにメロンや桃を買っていた果物屋もこの間閉まった。馬場さんから聞いた話では、ご主人が亡くなったということだったわ。馬場さんは、誰とでも気さくにしゃべるから、街の情報もいろいろ知っているのよね。

 私はダメ。商店街の人と対等に普通にしゃべるなんてできないわ。いつも用件だけで済ませてしまう。きっと、気位が高い母が、「商売人なんて」とバカにしていたのを観ていたからだと思う。何となく、商売人とふつうにしゃべるのは、はしたないような気がしてしまうの。彼らの服装も何だか、パリッとしていないし。

 ああ、回転焼きの店だわ。昔はよくここで買って帰ったものだった。真友子が好きでねえ。はー、またあの子のことを思い出してしまった。今日はコロッケがあるから、回転焼きはいらないわ。そんなにおやつを食べられないもの。駅から家まで、ずいぶん遠くなったような気がするわ。商店街でやっと半分だもの。

 

 

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