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人生を支える日常がある

 8月になったので始まった戦争の話。昨夜の『クローズアップ現代プラス』が、ロングラン上映を続ける『この世界の片隅に』を題材に、戦争中の暮らしの実例を紹介していました。でも、番組が始まり、観ていると、いつもの通りの悲劇的な展開の実例集に「またか」と思わず観るのを止めてしまいました。

 この映画を題材にしたのは、多分、私たちが悲劇的な物語とともにくり返し聞かされてきた戦争ではないところにポイントがあると思います。そういう大変でつらい時期を過ごした人々にも、笑いがあり、ささやかな楽しみがあり、暮らしがあったのだ。彼女や彼たちも、私たちと同じように日々を生きていたのだ。そう気がつくことで、改めて戦争の虚しさを思い知らせるところにあったのだと思うのです。そして映画は、綿密な調査をもとに、そのように等身大の戦時中の暮らしを伝えたところに意義があり、多くの共感を呼んでいるのだと思います。

 番組が結局いつもの通りの戦時中の物語を紹介することになったのは、話を寄せる視聴者側にも番組製作者の側にも、体に染み付いてしまった戦争トークが発想の自由さを許さなかったこと、多くの戦争体験者、その二世が重いトラウマを背負っているからだと思います。

 たぶん私が期待していたのは、こんなことです。つまり、どんなときでも日常はあって、あなたや私と変わらない人たちが、生きていたこと。人生は試練がたくさんあります。個人的な体験もあるでしょう。ブラック企業やセクハラなどに苦しむ人もいる。家族との関係がうまくいかずつらい人もいる。仕事がなくて大変な人もいる。そして、今や日本は災害列島です。台風や地震の体験やそれにまつわる人災、トラウマ、そして何らかの事件に巻きいこまれることもある。事故もある。

 でも、そういう中でも笑いは生まれます。私は23年前の阪神淡路大震災で被災しましたが、家族で集まって、こたつの周りにいつでも逃げられるように靴を置いて、余震におびえながら過ごした最初の夜、妹と「うちは食器割れへんかったなー」「壊れたん、家だけや」と冗談のネタばかり見つけて笑っていました。笑い飛ばすことで恐怖を忘れ、明日も生きていくという力を得たのです。

 東日本大震災は東京で体験しました。ライフラインが止まる大変さを知っていたので、いつもどおりに料理ができることをしみじみありがたく思いました。なぜか一生懸命料理しました。そういう生活そのものが自分を支えてくれることを知っていたからです。朝起きて、歯を磨いて食事をつくって食べて片付ける。掃除する。仕事する。そういう日常の積み重ねが今日を生き、明日も生きていこうと思える力になると知っていたからです。そういう自分が体を動かし働いた蓄積が、生きる力を育てるのです。

 暮らしは大切です。非常時だろうが平時だろうが人は命ある限り生きます。それは終戦の勅を聞いてから、また夕ごはんの準備を始めた映画のすずさんたちと同じです。そういう生活を営む、ということが実は何より自分たちを支えてくれるのではないでしょうか。

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