イベント報告

2018年7月25日@神楽坂・幸國寺

カテイカ研究会としてのイベント初回が、猛暑の東京・神楽坂で開かれました。カテイカ研究会の出席者は、有賀薫・阿古真理。スペース提供者として幸國寺の副住職妻の矢嶋文子さん。彼女は自然栽培などのおいしい野菜を扱う八百

屋「瑞花」創業者でもあります。参加者は、一人暮らしの人から子育て中の人までさまざまなライフスタイルで、仕事を持つ9人の女性。

まず、カテイカの考え方を阿古が説明した後、出席者の方々から、自己紹介がてら、カテイカに対する思いをうかがいました。たとえば、世の中に本当の初心者向けのレシピ本は少ないと指摘する人、家事を抱え込んで夫の参加を阻んでしまった新婚時代への反省を語る人、農業の現場を観ている立場から食の価値を上げる必要があるが、それはていねいに料理するなど、忙しい生活者にとって負担になる場合もあると語る人、生活者に届けるカタログを作る立場から、時短料理と「丁寧な暮らし」が二極化している今の問題を指摘し、ちょうどよい中間地点を探りたいという人など、社会的な課題と個人的な悩みの多様な視点が提供されました。

阿古がこれまでに多くの人に家事の話を聞いてきた蓄積をもとに、家事に対する考え方や、「ちゃんとできていない」罪悪感などが、メディアが流すすてきな暮らしのイメージと、育った家庭環境の影響から来ていて、実は「丁寧な暮らし」を実践した昭和の専業主婦の影響が最も大きいという話をすると、皆さん大いにうなずきます。

一人暮らし・デザイナーの女性が、実は共働きだった母が完璧な女性だったというエピソードを披露します。家政婦を雇ったものの、お母さんの料理のほうがおいしいことなどから、結局解雇した。ケーキも漬物も作る。そういうきちんとしたお母さんがいるために、結婚は無理だと思っているなどという意見が出ます。

別の会社員の女性は、きちんと三食つくる専業主婦のお母さんに育てられたけれど、お父さんが幼い頃に風呂に入れてくれた記憶もある。最近はお父さんが洗い物もするようになっているなどと言います。

昭和のお母さんたちは、休むことを知らないという話になったところで、有賀と阿古が、「昔の専業主婦は、プロフェッショナルとして主婦業をこなしていた」と指摘すると、皆さんがどよめきます。「そうなりきれないから罪悪感が生まれるんですね」という声が。

別の女性は、忙しそうだから「お弁当でいい」と夫に言われるとショックを受けると言う。外注するなど頼れないのが問題ではと。有賀が、フルタイムで働く女性がふえ、家事を夫とシェアする場合、前は1だった家事の量が、それぞれ1ずつやることで、倍増しているのではと指摘。

家事を分担するようになった時代の新しい悩みとして、どこまで夫に頼むのか、どうやって受け持ってもらうのかのマネージメントが大変だという声が出ます。そのためには説明する必要があって、家事を仕分ける必要があるからです。そして、多くの場合、男性の方が家事スキルが低いため、彼にできるように家事をしてもらうための工夫も必要だという話になります。

高校時代に、お母さんから「女だから料理が得意と思わないで」と言われたことがあるという人が、その考え方が今も役立っていると話します。多様な人たちの集まりだったからこそ、視点も多様です。

家事の悩みは、昔の主婦たちのような井戸端会議の場が少なくなっていることで大きくなっている、という話も出ました。家事のやり方は家庭によってもさまざまで、どこまでやるのが良いか、どこから手を抜いていいのか正解はありません。比較対象を見つけるためにも、必要なのは井戸端会議です。今はインターネットを介した情報交換が活発になっていますが、インターネットで得られる情報は、自分で欲しいものが選べる一方、予期しなかった新しい情報は入ってきにくいところに、。カテイカのイベントは、井戸端会議の場としての可能性もあるのではないか、という話で終了しました。

わずか2時間の割には中身が濃く、お互いの悩みを話し合ったり、現代の環境を考えたりと盛りだくさんの内容になりました。育った環境も、現在置かれている環境もさまざまだったからこそ、私たちカテイカのメンバーを含め、参加者の発見は大きかったようです。ここに報告したのは、ほんの一部ですが、もしかすると負担を増やしているかもしれない自分だけの考え方に固執せず、楽で楽しい暮らしの建設のために、今後もイベントを開いていきたいと思いました。



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