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料理はできたほうがいい

 先週の記事は、なんと私史上初めて、noteで一番読まれた記事になりました。たくさんの「スキ」をいただいて、フォロワーの方も増えました。皆さん、ご支持ありがとうございます。とにかくスピード感が大事、とばかり十分な推敲もしないで、勢いだけでこの連載を書いている私には、思いもかけないことでした。

 うつのおかげで、私は料理がいかにクリエイティブかを知り、そして自分なりの時短術を生み出しました。そうして改めて気がついたのです。タイトルにある通り、「料理はできたほうがいい」という事実に。

なぜ料理は必要なのか

 料理できた方がいいのは、年齢や性別に関係なくすべての人です。私は時短料理を編み出した頃は、まだ本当はレパートリーが少なかった。というより応用ができなかった。ラクをする方法もあまり知らなかった。そして、商店街が近い場所に住んでいたので、「毎日ちゃんとご飯を作らなきゃ」という縛りを課していた自分に、面倒なら外食もOKと許してやることから始めなければなりませんでした。

 うちは二人暮らしなので、外食してもそれほどお金はかかりません。だから、めんどくさいときはソバやらラーメンやら、食べたってかまわないのです。一人暮らしのときは、面倒なときは近所のラーメン屋に行っていたのに、結婚したとたん、そういうサボりがいけないことのような気がしていました。前にも書きましたが、「いい奥さん」はちゃんと手をかけて毎日料理するもんだという呪いを自分にかけてしまっていたのです。

 サボることで息抜きをする。サボる自分を許してやる。そうして何とか日々をしのいでいましたが、実はそうやって食べる外食は必ずしも満足できるものではなかった。なぜなら、そのときの気分や体調に必ずしも合ったものではなかったからです。外食は味が濃いことが多いせいもあるかもしれません。弱った気分のときに、パンチのある料理が合わなかったのでしょう。

 結局、自分に合わせた料理は自分でつくるしかありません。発想力がない病気の最中ということもあり、何をつくったらいいかも思いつかないし、つくる気力もない。だけど食べに行ってもおいしくない。もう不満だらけでした。だから、料理はできたほうがいいい、というのは私の実感です。

腕が勝手に料理する

 今も、気候が不安定な今みたいな季節や、すごく疲れたときなどは、うつ状態に襲われます。また、風邪をひくなど普通に体調が悪くなるときもあります。そういうときに助けになるのが、あれから10年経って腕を上げた時分です。

 面倒なときは、長年くり返しつくってきた料理をすればいい。そのことに気づいてからは、味噌汁、ひじきの煮もの、焼き魚です。一人暮らしのときに飽きるほどつくっていた料理です。腕が覚えています。適当に野菜を切ってもつくれます。

 「料理は愛情」なんて言葉も忘れます。イライラしているときなんか、包丁さばきは、ダンダンダンと力づく。荒っぽい切り方になります。でもいいんです。雑にやったって、腕が覚えているからいつのまにか料理は完成しています。頭を使わずにできる料理がある。その状態になるためにも、得意料理をつくっておく必要があります。何年かの経験が必要です。

 私はこれまで書いた本でも、講演でも、機会があれば「料理はできたほうがいい」と伝えます。それはそういうしんどいときに、頭で考えなくてもつくれる料理があったほうが助かるからです。

 味つけも、素材の固さも、そういうときは完全に自分好みです。この際一緒に食べる夫の好みは忘れます。だって調子が悪くて料理を必要としているのは私なんですから。もちろん、それは、そういう勝手を許してくれる夫がいてこそなのですが……。

 好きなもの、食べたいものを食べられる。それこそが実は料理できることの最大の強みなのではないか。食べたいものを食べられるようになるには、修業期間が必要です。料理は習慣です。トレーニングです。経験を積んでこそ、そういう喜びを得られる。だから、ときどきでもつくることをおすすめします。それは将来の自分への投資です。

 うつのおかげで、他の家事とのつき合い方も変わりました。そのへんはまた次週以降。

 

 

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