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じっくり煮る意味・その2

 先週、煮物を作ったときに発見した料理のことを書きました。

 先日作った煮物は、いろいろなことを考えさせてくれました。ずっとこの連載を読んでくださっている方はご存知かと思いますが、私はもともと、レシピ本を読みながら料理することはあまりありません。だいたいが自己流なので、基本が抜けていたりすることもありますし、できる料理のバリエーションはそれほど多くありません。

 レシピについてよく考えるようになったのは、トップに挙げた二つの本で、レシピを大量に読む機会ができたときです。最初に、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』を書いたとき、時代による家庭料理の変化を、『主婦の友』や『きょうの料理』、『オレンジページ』などのそのとき人気が高かった雑誌から読み解きました。平成になると雑誌よりレシピ本を買う人が多くなったので、レシピ本も加えました。

 このときは、図書館に通って必要な見出しや料理名などをパソコンに入力して帰る、というくり返しで、その中の「これを作りたい」などと考える余裕はありませんでした。どのように、どんな料理が紹介されているか、分析することが中心だったこともありました。

 ところが、この本が新聞各紙に取り上げられてよく売れ、目にとめてくださったのが、新潮社の編集者です。彼が、これを読んで、「小林カツ代と栗原はるみについて書いて」と依頼に来たことから、ヒット作『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』が生まれました。

 料理研究家の歴史を研究したこのときは、レシピ本が分析の対象になったことから、たくさんのレシピ本と関連書を買い込み、前よりじっくりと読む余裕ができました。だから、その中で作りたくなった料理が生まれ、コラムとしてその体験も入れました。そして、先週書いたように、土井勝さんの「栗と鶏の煮もの」が自分のレパートリーにも加わりました。

 何冊も読み込むうちに、私は気が付いたのです。料理研究家たちが、いかに真摯に料理と向き合ってきたか。皆、真剣です。そして料理を愛しています。料理がどんなに楽しくためになることなのか、彼女たち、彼たちは一生懸命本を通して伝えようとしていたのです。

 合わせて料理のコツを記したエッセイ集もたくさん読みました。そこでは、料理研究家たちの来歴も書かれているためです。でもそこで、皆さんのプロフィールを発見するだけでなく、自分の料理が適当なために、たくさんの基礎が抜けていることに気が付いたのです。

 私は料理とちゃんと向き合ったことがあったか? 否です。恥ずかしくなりました。そして料理にちゃんと向き合えば、できることが増えていくことに気が付いたのです。長くなりました。続きはまた次回に。

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