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愛情を込めた料理って?

 今回は前回の続きです。https://note.mu/acomari/n/n0119a854eeb1

料理に「愛情を込める」という意味を持つ表現は、山尾美香さんの『きょうも料理』によれば、昭和初期から登場しています。昭和初期と言えば、都会でサラリーマン家庭がふえて、彼らが腰に弁当をぶらさげて出勤するので、腰弁などと言われた時代です。つまり、主婦がふえると、「愛情」は強調されるようになるのです。『きょうの料理』で愛情が盛んに強調されたのも、主婦が既婚女性の多数派になろうという時代でした。

愛情の込め方

 でも、愛情ってどうやって込めるのでしょうか? 料理メディアを読んでみると、どうも手間をかけて料理することを指しているようです。下ごしらえをていねいにする。たとえば、もやしのひげ根を取る、エビの背ワタを取る、鶏の脂をとっておくといった、しなくても料理は成立するけれど、したほうがよりおいしい、よりヘルシーであるといった場合の手間のようです。

 惣菜を買ってきて並べるとしても、パックそのままではなくて、皿に移し替えるのも「愛情」かもしれません。でもそれはもしかすると、買ってきたことを隠すためかもしれません。でも、皿に盛りつけたほうが、汚れものは出るけれど、プラスチックケースの中に入っているよりおいしそうに見える。そういうちょっとおいしく、楽しくする工夫を、「愛情」と呼んでいるのです。

どこまでが愛情?

 では、上の写真です。急に肌寒くなった昨夜のわが家は、鶏と大根などの煮ものがメインで、つくりおきしていた切り干し大根の煮ものも一緒に出しました。そこに、まさか寒くなるとは思わず買い込んでいたきゅうりを使おう、と塩をすりこんで、梅酢をかけて一皿出しました。

 このきゅうりの一皿は手抜き料理でしょうか? それとも茶色っぽくなる食卓に緑色を加えたという意味で愛情でしょうか? ほとんど手間はかかっていませんが、塩をすりこんで梅酢をかけたのは、ひと手間かけた愛情と言えるのでしょうか?それともドレッシングをかけたり、ほかの野菜も一緒にするなどしていないから手抜きでしょうか?

愛情は手間だけでは測れない

 料理に不慣れな人が、一品余分につくる。時間をかけて調理する。めんどうな下ごしらえもがんばる。それは、食べる人を思いやった愛情かもしれません。しなければならない、とレシピに書いてあるからがんばっただけかもしれません。

 ベテランの料理上手な人が、あらかじめ下ごしらえして冷蔵庫に入れておいたものをとりだし、仕上げてあっという間に食卓を完成させたら、それは愛情なのでしょうか?

 私は、どうしても手づくりぎょうざが食べたいときは、1時間以上調理時間をとっておいて、3回分ぐらいつくってしまいます。この時期は、栗ご飯も食べたいから、料理の時間を2時間ぐらい取ってひたすら皮をむきます。それは夫に対する愛情でしょうか? もちろん一緒に食べたい気持ちはあります。喜んでくれるのもわかっている。でも、それより前に、私は自分がそのぎょうざを、栗ご飯を食べたいのです。たまには仕事を早く切り上げて、無心に料理したい気分のときもあります。それは愛情でしょうか?

愛なんて気にしなくていい。

 1990年代、一世を風靡して日本の食文化史に大きな影響を与えたテレビ番組『料理の鉄人』は、「料理は愛情なんかではない」と高らかに宣言していました。それは、世の中にあふれている料理情報に「愛情を込める」という表現がたくさんあったからだと思います。

 無心に料理しているとき、愛情なんて込めているかどうか本人はわかりません。ひと手間かけるときに、食べる相手のことを考えてそれをしているのであれば、それは愛情です。どちらでも、おいしい料理ができるかもしれません。どちらでも、もしかするとそれはおいしくないかもしれません。

 よく料理メディアには「怒りながら料理したらおいしくなりません」とあります。それで一度、腹が立ってしょうがないときに、勢いでどんどんと野菜を切り、がーっと炒めて料理したことがあります。ちょっと怒りに任せて。でも、いつも通りの味ができていました。

 テキストが怒ってはいけないというのは、注意力が足りなくなって失敗すること、味付けが変わってしまうことを指しているのです。もしかすると料理メディアが愛情を強調するのは、限られた誌面で、ちょくせつ語り掛けられない中で説明しようとするとき、わかりやすい言葉が「愛情」だっただけなのかもしれません。

楽しくつくろう

本当は、こだわらなくてもいいのではないでしょうか。気にしなくていいのではないでしょうか。レシピからは作り方だけを学べばいいのです。もしくは、その料理家が好きなら、その人の世界観をちょっとしたアドバイスやエッセイなどの文章から読み取ればいいのです。プレッシャーは感じなくていいのです。誰もあなたが愛情不足の人間だなんていう権利はないのです。

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