見出し画像

じっくり煮る意味・その3

 またまた本の写真ですみません。このところ書いている家事としての料理の意味は、これまでに本で書いてきたことの続きでもあるので。

 先週は、自分が今まで料理することを大切にしてこなかった発見について書きました。

  本の話からしますね。

料理は義務ではなく権利である

 2017年に出した『料理は女の義務ですか』では、人はなぜ料理をするのかを考えた本です。特にこの数年、多忙な女性たちが料理すべきとされる日常を苦痛だと訴える声が大きくなってきたので。彼女たちが苦痛を訴えるのは、それでも料理したい、料理しなければと考えるからでしょう? だからなぜかを、歴史から考えてみようと思って。

 スイッチ一つで加熱できる電子レンジやコンロ、食材を長持ちさせる冷蔵庫、蛇口をひねれば出てくる水。お金さえ出せば買える食材。そんな便利になる前も人は料理してきました。だって人間は料理しないと、食べられないものが多すぎるのですもの。それに料理したらおいしくなり、吸収しやすくなることを、大昔から知ってしまっている

 アマゾンの頓珍漢な書評は気にしません。だって速水健朗さんが「これまでの集大成」ですごいと書評を書いてくださったのですもの。

 料理することは、栄養を取るためだけではありません。その日の天候や体調や気分に合わせて好きなものを食べられる、それは自分の場合も家族の場合もあります。病気の人に栄養をつけさせることもできる。おいしくできれば幸せな気分にもなる。

 そして料理を一緒に食べることは、関係を育てます。必ずしも手づくりではありません。おいしいお店の料理を一緒に食べても幸せにはなります。それから、手づくりすれば、自分を大切にしている、大切にされている、という感覚を持ちやすい。

 好きなものを食べる権利、おいしく食べる権利、大切な人と関係をつむぐ権利。それを完全に手放してはいけない。幸せになるためにつくる、料理は人間の権利なのです

家事は家族をつなぐ

 そういう話を発展させた章が、今年出した『母と娘はなぜ対立するのか』にあります。この本は、最近では「あるある」と言われるぐらいに市民権を得た、母と娘の確執の原因や背景について、自分の体験を織り交ぜながら社会学的にアプローチして分析。変わる可能性について、平成以降のメディア表現から探ってみた、という欲張りな本です。

 その中で、当然のことながら、家事への取り組み方の問題を書いています。「ていねいな暮らし」という呪縛はなぜあるのか。そしてヒットドラマ『逃げ恥』への共感と違和感。

 家事は、めんどくさいものです。私も苦手な掃除は、「よっこらしょ」と腰を上げて気合を入れてやっています。出先から疲れて帰ってくるのに、スーパーへ寄って重い荷物を増やし、帰ってきてそれを冷蔵庫などに詰め替えていると、すぐに休めないのがうらめしくなったりします。

 もちろん家事は分担していますし、わが家ではしていないけれど、外注する手もあります。掃除や料理を外注する人は最近多いようです。でも、家事のすべてを外注するのは難しい。どうやったらできるのかを、こちらの本で考えてみました。そしたら、それはホテル暮らしなんですよね。使用人だらけのセレブはともかく、普通の人に可能性があるとしたらそういう方法になります。昔、映画評論家の淀川長春さんがそういう暮らしでした。

 でも、その暮らしは孤独でもあります。自分は生活に参加していない、という感じかもしれません。前に、noteの記事で夫たちの中には、「羊飼いのつもりで家族を養っている」感覚を持つ人がいると書きました。そういう男性は、家事をしていないから、家族に参加意識を持ちづらいのかもしれません。家族という当事者感がなくなる

 長くなってきました。先週の話の続きにたどり着かなくてごめんなさい。でも、この当事者意識、大事な問題なので改めて次回、考えてみることにしましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?