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料理が嫌いだった私

 今回は、私自身の告白をします。私、料理が嫌いだった時期が10年ぐらい続いていました。きっかけは、結婚したことです。

「女の役割」に過敏反応

 もともとは、どちらかというと料理が好きなほうでした。高校時代、母がパートに出るためときどき任されていた夕食の支度は、けっこう嬉々としてやっていたと思います。一人暮らしのときも、最初のうちは買ったレシピ本で気になった料理を片っ端から作ってみるなど、楽しんでいた時期もありました。

 でも、夫と一緒に暮らすようになって、急に義務感に襲われ面倒になったのです。わが家で家事はシェアしていて、夫も交代で料理を作りますが、なぜか私は「なんで私ばっかり」と家事の負担感が強く感じられるようになったのです。

 今振り返るとそれは、二人暮らしになると、一人のときと違ってマイペースで家事の時間を作れないため、夕方に仕事がノッてきたときに台所に立たないといけないのが煩わしかったこと、「名前のない家事」を含めれば自分のほうがやっている量が多いと感じられたこと。それから、作ってあげなければならない相手がいると、なぜか重荷に感じられてしまうのです。高校時代にも実は「めんどくさい」と思ったことがありました。義務感のせいでしょうか。

 それに加えて、私は大学生になる頃にはフェミニストになっていて、学校でフェミニズム関係の授業を取ったり本を読んでいたことなどから、性別役割分担として女性にばかり家事の負担がかかることに敏感になっていたこともあります。

負担感は思い込み?

 料理が楽しくなり始めたのは、5年ほど前から、都心でのマルシェなどのイベントが増えてきたこともあり、自然栽培や在来栽培の野菜、珍しい野菜などを買って料理してみる楽しさが出てきました。ジャムを作るバリエーションも増えました。なんとなく趣味の料理みたいな日が出てきたのです。

 そんなとき、新潮社から『小林カツ代と栗原はるみ』という本を作るお仕事が入ってきて、料理研究家の歴史をひも解き、その人たちが真摯に料理と向き合ってきたことを知ったのです。合わせて、彼らが作った料理のコツを伝えるエッセイなどで知った情報も多かった。

 その本では、背景にある女性の歴史も調べて書きました。そうしてなぜか私は忙しくなったその仕事をしながら、「仕事と家事の両立」とブツブツつぶやいていたのです。台所のテーブルで資料を広げて読んで分析し、パソコンで書いて、また台所のテーブルで出力した原稿を推敲する。それから、資料を片づけて料理する。同じテーブルを中心に家事と仕事、両方を交代でやっていったのです。

食べさせる喜びを発見

 ある日、専門学校で講師をする夫が教え子たちをうちに招待しました。「子どもがいたらこのぐらいの年齢?」と思える若い彼らが、私の作った料理をとてもおいしそうに食べる姿を見て、私は急に「よしよし、もっと食べな」と、孫に目を細めるおばあさんのような心境に陥っていたのです。

 喜んで食べる若者の姿は、作っている私に満足感を与えました。きっと小さな子だったらもっとうれしい。お母さんたちは、そうやって子どもたちに毎日食べさせる大変さを喜びに変えているのではないか?

 たぶん、このときだったと思います。フェミニズムの呪縛が解けたのは。といって、フェミニストを辞めたわけじゃない。「女は損」と決めつけて自分を憐れむのを辞めたのです

 それから、「今までの思い込みは何だったの」と思うぐらい、料理が楽しくなりました。腕が上達して、肩の力が抜けたことも大きかったと思います。義務感だけでなくなったら、料理は「ものを作る」という私がもともと好きな作業ができる楽しい時間になったのです。もちろん、今でもめんどくさいと思う日もあって、いつもいつも楽しいわけじゃないんですけどね。





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