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献立の悩みがなかった時代

 毎日の食事づくりで、たぶん一番大変なのは、献立を決めることではないでしょうか? 私も「今日のご飯は何にしよう?」と悩むことに疲れていた時期が長くありました。どうやってそこから脱出したのかは、後ほど書きますが、今回は、そういう悩みがなぜ生じたのかを考えてみます。

つくるものが決まっていた昔の暮らし

 先日、カテイカの仲間である有賀薫さんが連載で興味深いことを書いていました。

 型を持っている人には無理がないという記事で、雑煮も型だと書いているのです。それはその通りで、おせちも型です。黒豆、煮しめ、きんとん、だて巻きなど、毎年同じものを同じレシピで作る人は多いでしょう。

 実はおせちに限らず、昔は地方ごと、家庭ごとに年中行事につくられるものは決まっていました。私は最初に書いた食の本、『うちのご飯の60年』の中で、母が育った広島県の山村での暮らしを書きましたが、年中行事のたびににんじん・ごぼう・シイタケを刻んで煮た具材を挟む押しずしをつくっていたそうです。姉たちの作業を手伝っていた母は、その後何十年も経って、急に押しずしをつくり始めました。シーズンに1回ペースで手伝っていたから、つくり方を覚えていたのですね。

 以前、テレビで京都の旧家、杉本家の方が継承されてきた365日分の献立表を公開していたのを見たことがあります。縛られるのは大変でもありますが、献立に悩まなくてもいいのでうらやましくもあります。そんな風に毎日何をつくるべきか決まっている家は、案外多かったのかもしれません。

選択肢の多さが悩みの原因

 私も前に、この連載で昔の食生活について書いたことがありました。

 今ほど流通が発達していなかった昭和半ばまで、食材の選択肢は限られていました。総菜を買えるのは商店街が発達した都会だけ、加工食品と言えば缶詰ぐらいだった時代です。ほとんどの人にとって、毎日つくるしか食べる方法はありませんでしたが、レパートリーも少なかったので、悩むことはありませんでした。

 実は献立の悩みは、レシピの普及によって起こりました。家庭料理のレシピ本が出されるようになったのは20世紀初め。女学校に進学する女性が増えてレシピを読む能力を身に着けたこと、サラリーマンが登場して専業主婦になれる女性が増えて、レシピが紹介される本やその頃出て来た女性雑誌を読んで、「今日の献立は何にしようかしら」と考えるようになったのです。

 レシピの選択肢が増え、スーパーなどでたくさんの食材を買えるようになった昭和半ば以降に、どこの家でも献立に悩む現象が生まれたのです。

ルーチンを決める

 私が献立にあまり悩まなくなったのは、まず、めんどくさいときは外食に逃げるようにしたことです。逃げ道があれば気が楽になります。

 それから、料理する楽しさを思い出す機会があり、義務感や負担感から自由になりました。続いて、マンネリを恐れなくなりました。冬は根菜類の煮物を、カツオ昆布の出汁で作る、トマト缶で煮込んで洋風など、ちょっとずつ味を変えて作る。夏はピーマンのきんぴら、ナスのみそ炒めなど、似たような炒め物をくり返しつくります。切っただけトマトもよくやります。

 夫がもともと、バラエティを求めない人だったこともあり、それで不満を言われることもありません。わが家の場合、交代制で夫も料理するので、違う料理を食べられるので助かっています。

 そうやってルーチンばかりをやっていると、珍しい食材が手に入ったり、友だちからアイデアを聞いたり、外食で面白いものに出合ったときに、ちがうものを作りたくなります。そうやって、気が付けばルーチン、ときどき変化する食卓となっていました。

 日々の食事で大切なのは、逃げ場を持つこと、助けてもらえる誰かを作ることなのかもしれません


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