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家事とお金の関係・その2

 前回、家事論が沸騰する今と、家事の価値について書きました。

 では、家事をお金に換算して、経済的価値を認めれば、専業主婦と夫の関係は対等になるのかどうか。妻が家庭で果たしている役割は、お金で割り切れるものなのかを考えていきます。

 タイトルの写真でも入れた『料理は女の義務ですか』(新潮新書)を書いた折に、その話はある程度掘り下げました。今回はもうちょっと深く考えてみますね。

お金で測れないのは何か

 家事には、さまざまな雑多な作業があります。料理、掃除、洗濯。それに付随する準備や片づけ。銀行へ行ってお金をおろす、振り込みをする、さまざまな手続きをする、子どもの学校とのやり取りなど自分や家族に関わる用事があります。洋服をつくる人は少ないかもしれませんが、子どもが持っていくお道具袋を縫ったり繕い物をする場合はありますね。幼児や要介護者がいる人は、その世話も含まれます。家事は人が暮らしていくための環境を整えるために行います。

 料理や掃除、洗濯は外注できます。だから、そこはお金に換算できます。でも、片づけは外注できません。用事も外注できません。買えるものは全部買ってしまうことはできます。

 でも、例えば料理を、家政婦さんに作ってもらうとどうでしょうか。最近、家政婦さんを取り上げたテレビ番組がときどき放送されます。そういう番組を観ていると、子どもたちがその味に慣れていくうちに、その人の料理を食べたいと言ったりしています。総菜ではそういうことは起こりませんが、つくり手の顔が見えて会話できる関係なら、つまりそこに人間関係が発生すれば、その関係が深まり互いに愛情が育っていきます

 つくってもらう人は、つくってくれる人に対して愛着がわきます。つくる人も、相手の好みや健康状態がわかって、それに配慮するようになれば、相手を思う感情が育っていきます。家じゅうの掃除を一人の人が行っていれば、例えば子どもの部屋で片付き具合を見てその子のことを思ったりします。散らかった衣類を片づけるときに、相手を思ったりします。

 つまり、家事には、する人、してもらう人の関係を育てる部分があるのです。通常の仕事でも、一緒に組んでいる間に同僚や取引先の人と仲良くなったりしますよね。それが家事の場合、生活に密着していて、プライベートだと感じている部分にも触れるので、その気持ちは深くなるのです。

家事を完全に外注する生活とは

 家事のすべてを外注することを実現した人がいます。それは、昭和に活躍した映画評論家、淀川長春さんです。ゲイだった彼はお母さんと二人暮らしで、晩年をホテルで暮らしました。ホテルなら食事はすべて賄えますし、掃除も毎日係の人がやってくれます。洋服はクリーニングを頼めます。ホテルならパンツでも洗ってくれます。家事をすべて外注する生活とは、ホテルで暮らすようなものだということなのです

 家政婦さんに頼む場合もそうですが、仕事相手と結婚する人がいるように、家政婦さんと結婚するドラマみたいな現実を生きる人はいるかもしれません。でも、仕事相手と誰もが結婚するわけではないように、多くの場合は仕事する人は仕事と割り切っていることが多いです。家事をしてもらう人が一生懸命相手を思っても、してあげる人にとっては、他にもたくさんいるお客さんの一人かもしれませんし、期間限定の取引先かもしれません。

 家族は家事以外の部分でも結びついています。一緒に遊ぶ、一緒に食べる。毎日起きて挨拶をし、雑談をする。そもそも一緒に居たくて結婚したり、子どもを育てたくて産んでいる場合も多い。愛情をかけるつもりで一緒にいる人たちだから、その気持ちの育ち方は、偶然一緒になった人たちへのものより深いことが多いでしょう。

 家事には関係を育てるところがある。しかしその前に関係があって、一緒に暮らすから家事が発生する場合がある。そこはお金とは別の要素が入っています。次は家事と愛情の関係を、もうちょっと発展させて考えてみることにしましょう。

 



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