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物語食卓の風景・共働きの2人①

 立花一家を中心にした物語、先週までは団塊世代のお母さんの洋子を主役にしていました。

 次は長女の真友子が主役です。47歳の真友子は東京でフリーライターをしています。会社員の夫がいますが、子どもはいません。

「ただいまあ。遅くなってごめんね」

真友子が東京郊外のマンションにたどり着いたのは、夜8時前。某企業から請け負う社内報の仕事でインタビューした人の話が長引き、しかもその後、編集者から「次の号について話がある」と引き留められたのだ。一緒に組むことが長くなった先輩、長沢美紀子とドトールに入った、次号の話はすぐ済み、あとは延々先輩が飼っている猫の話を聞かされた。

「寒い時期はね、うちのアンナちゃんが風邪を引いたら困るから、エアコンをつけっぱなしで出かけるから、電気代がかかってしょうがないのよ。暑い夏も同じ。猫って不経済よね。でもアンナちゃんが快適に過ごしていると思うと、安心して仕事に励めるのよね。アンナちゃんの電気代を稼ぐためにもがんばらなきゃ」とまあこんな調子。

 アンナちゃんというのが、長沢先輩が飼っている3代目の猫の名前。歴代の猫について知っている私もどうかと思うが、大学で一緒だった先輩のおかげで、就職氷河期に入ったばかりで、受けた東京の出版社の試験に軒並み落ち、関西のプロダクションも落ちた私が、何とか東京の小さなプロダクションに潜り込んでライターとしてのキャリアを始められたのだ。

「新聞部の中で、プロになりたいと言っていた後輩は真友子だけだったものね。私の代は、新聞社や出版社に入った子も何人かいたのに」と長沢先輩は言う。「いやたぶん、ほかの子たちは関西の女子大生が、出版業界でどれだけスペック不足かちゃんとわかってただけだと思う」と、真友子は心の中でこっそりツッコミを入れる。

 先輩はどうして結婚しなかったのだろう。けっこう美人で仕事もできるのに。猫ちゃん偏愛になってしまったのは、独りで寂しいからだろうか。それとも猫が好き過ぎて結婚に縁がなかったのだろうか。でも、結婚が必ずしも幸せではないし、実際女性にとっては負担が大き過ぎる。

 部屋に入ると、夫の航二はテレビをつけてソファに座って新聞を広げていた。いつものことながら、台所に入った気配はない。

「今日、早かったんだね。いつ頃帰ったの?」荷物を置くと、化粧も着替えもしないままエプロンを着ける真友子は聞く。

「いや、俺もさっき帰ったとこ。大野から飲みに誘われたんだけど、あいつグチ多いからさ。このところ飲みが続いてたし、真友子の飯が食いたくってさ」と言いつつ、新聞をめくる。テレビでは、芸人たちが大笑いしている。「今日の飯、何?簡単でいいよ、真友子疲れてるだろ」と、優しげに言う。航二が台所に寄りつかなくなってどのぐらいだろう。

 一応、ゴミ捨てと、ふろ掃除はやってくれる。大掃除も。ふだんの掃除は、週末に家にいるときは掃除機をかけてくれるが、あまり部屋にいることは少ない。テニスで忙しいからだ。そもそも2人が出会ったのは航二が入っていたテニスサークルに、友人から誘われて真友子も入ったからなのだが、結婚した頃はブライダル誌の仕事で週末に取材が入ることが多く、行けなくなって脱会した。その仕事は、週末に結婚式を取材して、その後新婚家庭に電話取材してから記事を書く。独身時代はそれでもよかったが、会社員の航二と一緒に暮らし始めると、週末は取材だわ、平日の夜も電話しないといけないわで、生活時間に食い込む仕事はやりづらくなって辞めてしまった。

 航二は、自分の服は自分で管理している。散らかしがちではあるけど。着かけている洋服の一時置き場として籠を買ったのは新婚のとき。でも航二はそこに洋服を納めることはなく、だいたい寝室やリビングに脱ぎ散らかす。それでいて、それぞれの置き場はちゃんと把握しているから、それはそれで航二流の管理術なのだろうと、目をつぶることにしている。

「今夜はそうね、炒め物にしておこうかしら。でも、ご飯も炊かないといけないし、スープもつくるわ。せめておコメだけでも洗っておいてくれたら助かるんだけど」と遠慮がちに言ってみる。

「いや、やろうかなと思ったんだけど、とりあえず帰ったばかりで疲れているし、まずは一服しようと着替えて座ったところへ、真友子が帰ってきたから」と言い訳がちに言う。航二が家事をできない理由は、いつもたくさんある。それぞれは確かにその通りなのだけど、何か腑に落ちきれない。私は着替えもしないで料理に取り掛かっているというのに。航二が料理に手を出さなくなって何年経つのだろう。もともと一人暮らしのときはいろいろつくっていたというのに、何がきっかけだったのだろうか。

 


 

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