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昭和主婦の亡霊

 有賀薫さんが、公式レポートをあげてくださっていますが、先日第2回イベントが実施されました。


 私は3つに分かれたチームのうち、罪悪感について考えるチームで司会をしました。罪悪感については、私も前に自分の体験を書いたことがあります。

 でも、罪悪感を抱いている人は、たくさんいるんですよね。私たちのチームには男性もいたのですが、女性だけでなく男性でも、台所の担い手は罪悪感を抱く人がいることがわかりました。

「私はちゃんとできていない?」

 皆さんが挙げたのは、こんな罪悪感です。「外食をしてはいけないと思ってしまう」「食材がダメになるのが嫌」「料理の正解がわからない。献立にとらわれてしまう」「朝、昼、夜と3食違うものを作らないといけない気がする」「マンネリに対する罪悪感」などでした。

 正しくない食事をしていると思うから罪悪感が生まれる。そこで、今度は「どんな食事ならいいのか」と正解を聞いてみました。「栄養バランスがいいこと」「手料理」「適切な温度、量、時間」「レパートリーが豊富」「季節感」「一汁三菜」「正しい盛り付けと配膳」「安全」「家族がそろうこと」といった意見が出ました。改めて列挙してみたことから、「理想、むっちゃ高い!」という声が。

 続いて、その正しい食事ができない「言い訳」を聞いてみます。「時間がない」「お金がない」「気力がない」「みんなが揃わない」「レパートリーが少ない」「知識がない」「キッチンが狭い」「片づけが面倒」などです。理想の食卓に程遠いのは、ライフスタイルが違うからです。家族は生活時間が違うし、現代の女性は働いていることが多い。キッチンの狭さは東京の賃貸暮らしでは切実な問題です。

理想的な昭和の専業主婦

 私は皆さんのご意見を聞いていて、デジャブ感にとらわれました。これって、「サザエさん」?それから、前にご紹介した『きょうも料理。』が指摘した『きょうの料理』が昭和の時代に掲げていた理想。つまり、私たちが囚われていたのは、昭和の理想なのです。お母さんが専業主婦で、理想の食卓を整えていたのかもしれない。テレビや雑誌の料理情報で見たのかもしれない。アニメやドラマかもしれない。

 高度成長期でサラリーマンが急激に増え、家族を養える所得が得られるようになると、専業主婦になる女性が増えました。それは企業が女性を雇いたがらなかったからでもあるのですが、親の世代までは農家その他で過酷な労働を強いられる嫁生活を知っていた、当時の若い女性たちは喜んで主婦になっていきました。

 その頃、食卓を取り巻く環境は大きく変わっていました。電気・ガス・水道が完備され、台所が使いやすくなりました。冷蔵庫などの家電も入ります。食材は豊富になり、毎日肉や魚、乳製品などを摂ることが可能になりました。便利で豊かな生活。使い慣れない道具もあります。見慣れない食材もあります。新しい生活には新しい常識が必要です。

 特にこの時代の新米主婦たちは、戦中戦後の厳しい時代に育っていて、子ども時代とは全く違う環境で食事を整えなければならない人も多かったのです。彼女たちが頼りにしたのが、『主婦の友』『きょうの料理』などの料理メディアだったのです。

現実に即した食卓を

 当時のメディアが紹介したのは、献立、栄養バランス、一汁二菜以上の品数、彩りなどです。皆さんが列挙したポイントは、メディアが教えてくれたのです。

 メディアは、あるべき姿と最新情報、つまり人々の憧れを投影します。そのライフスタイルが憧れだから、みんな雑誌を買い、テレビを見るのです。できるだけ忠実に実行した人もいるでしょう。そういう生活や、そういうメディアが、私たちの心の底に眠っている。

 もう一つ重要なポイントは、その完璧すぎるメディアのイメージは、専業主婦を念頭に置いて作られたものだということです。家事と育児だけをしていて趣味を持たない専業主婦の人は、がんばったら実行できるかもしれない。でも、今は主婦だっていろいろ忙しいし、それより働いている人のほうが多い。既婚女性の多数派は働いている人です。シングルだったらほとんどの人が働いているでしょう。男性だってそうです。

 家事に使える時間は限られています。その中でそういう理想を実行するのは不可能です。もしやったら過労で倒れてしまうかもしれません。健康的な食事を整えるあなたが不健康になってしまう。

 改めて今のメディアを見てみましょう。時短料理、簡単な料理に関する情報はあふれています。家事を省力化する情報もたくさんある。現実はこちらです。別に時短料理を作らなければいけないわけではありませんが、今の願望に素直になりましょう。楽をしたっていいのです。というか、楽をして日々を楽しく過ごす方が健康的だと私は思います。

 どんどんルーズになってしまうかもしれない。不健康な食事を続けてしまうかもしれない。そんなときに心の中の理想の食卓を思い出せばいいのです。それは理想です。でも、基準になります。昭和のメディアが示した食卓は、もしかすると完璧な理想形だったのかもしれません。できないから罪悪感を覚える必要はない。

 それは例えば悠々自適の暮らしや、モデルさんの体形みたいに、多くの人にとっては現実ではない。憧れでいいのです。リタイア後の夢でもいいのです。その理想を知っているあなたは、それだけで健康的な生活への手がかりを持っていると思っていいのではないでしょうか?

 

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