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家事とお金の関係・その3

 掘り下げると深い「家事とお金の関係」。まだまだ行きます。前回は、プライベートな生活に関わる家事は、やってくれる人とやってもらう人の間に愛情が育つという話を書きました。

 確かにそれはその通りです。母親が家事のほとんどを担う家庭で、子どもたちは自分の世話をしてくれるお母さんを特に慕います。お父さんは、遊んでくれる人なら好きになりますが、そうでない場合は、何をしてくれているのか具体的に見えないので、お母さんほど愛着を示さないことがあります。

 私が若い頃、「男の子はまず胃袋からつかめ」などという言葉がありました。料理を作ってあげて「おいしい」と思ってくれたら、彼は振り向いてくれる。そんなことが女性誌に書いてありました。愛情を得るために尽くす。そんな方法もあるのです。

専業主婦の努力

 昭和の時代、既婚女性の多数派を占めていた専業主婦は、まさにそういう家事と愛情の関係を利用して、家族の愛をつかんでいました。「利用して」というと響きは悪いかもしれません。でも、結果はそうなのです。主婦たちは、こまごまとした用事も全部一手に引き受けて忙しく働いていたのです。家族の目に見えたのは、料理や洗濯した衣類ぐらいだったかもしれませんが、そうやって家族の健康を保っていたのです。自分の世話をしてくれる人には、感謝の気持ちがわき、その感謝が愛情に育っていった。自分への配慮がわかると、もっと好きになります。

 でも、そういう貢献も、やがて「当たり前」になります。みんな自分のことで忙しいのです。家事は環境を整えるものですから、仕事や勉強で忙しい、恋も含めて人間関係の悩みで頭がいっぱいのとき、やってもらっている家事にまで、頭が回らなくなります。家の外で忙しい役割を持っている人は、家にいる主婦の仕事は家事なのだから、やって当たり前だと思うようになるかもしれません。

 主婦の貢献がわかるのは、独立した子どもが自分で家事をやるようになってから、主婦が倒れて家族が大変な思いをしてからなどです。不在にならなければ、彼女の貢献は家族に見えませんでした。

稼げない者の悲哀

 主婦が哀しいのは、お金が権力と結びつく現代社会において、彼女の働きはいっさいお金にならないことです。その話は初回でも書きました。

 特に都市で暮らしていると、たいていのものはお金で買える替わり、お金がなければ生活が成り立ちません。食べるものも買わないといけないですし、清流があるところならいくらでも使える水だって、水道料金を払いペットボトルで買わなければいけない。

 自分で稼いだお金なら、自由に使えますが、他の人が稼いだお金は遠慮しながら使うことになります。日本では主婦がお金を管理して、稼いだ夫はお小遣い制の家庭も多いので、比較的発言力はありますが、もし夫がケンカした折「誰が稼いでやっていると思っているんだ!」などと暴言を吐いても、返す言葉がありません。

 また、夫婦関係が壊れて離婚したいと思っても、自分が食べていけるだけのお金を、あるいは子どもも養えるお金を、十分稼げない可能性を考えて断念する人はたくさんいます。社会に通用する技術と人脈を持たない多くの主婦は、夫のようには稼げないからです。そんな風に女性を追いやる社会の構造には大きな問題があるのですが、それはここでは本題からそれるので深堀しません。

 お金がない。この一点のために、主婦はずっと家族のために働いてきたのに、やりくりの技術や料理技術、子どもの育て方など、身に着けた多くを評価されることがないのです。独立した子どもがのちに感謝することはあるかもしれませんが……。なかには主婦の技術を利用したビジネスをする人もいますが、そういう仕事はあまりお金にならないことが多い。『家事労働ハラスメント』(竹信三恵子、岩波新書)には、家事的な労働が稼げない問題を掘り下げています。

 お金で回る社会で暮らす限り、主婦の労働は評価されることがありません。もしかすると、そのことが、多くの主婦が「社会進出」し、後から社会に出て行った女性たちは仕事をする人生を選んだ原因ではないでしょうか。お金がないがゆえに力が弱いお母さんを、彼女たちは見てきたのかもしれません

 しかし、女性が外で働くようになると、家事に手が回らなくなります。夫や子供が、家事の戦力としてアテにならない人はたくさんいます。だから省力化となる。それでも、毎日残業していても、やらなければならない家事はあるし、積み残した家事が溜まっていく……。考えるヒントは昔の生活にあります。そこには、家族の愛情を育てるヒントもあります。次回はそういう温故知新の話です。

 

 


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