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家事とお金の関係・その1

 世の中、家事論争と言えるぐらい、家事に関する議論が沸騰しています。議論を始めたのは『AERA』で、2014年10月16日号の大特集「変革するワーママたち」で、ワークライフバランスを取り上げたことでした。その後も『AERA』は、くり返し家事についての記事を出し、その後流行する家事のリストアップも提案しています。

 書籍では、2015年に『考えない台所』(高木ゑみ、サンクチュアリ出版)が最初で、その後家事の省力化を謳った本が次々と出ます。2017年には勝間和代さんによる『勝間式超ロジカル家事』(アチーブメント出版)が出て、勝間さんはテレビで家事についての解説を行うようになりました。

 2017年には家事が大変な社会背景を分析した本も出ます。まず手前味噌ですが、私が書いた『料理は女の義務ですか』(新潮新書)で、続いて重曹を使ったナチュラルな掃除の提案で知られる佐光紀子さんの『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』(光文社新書)です。

家事をお金に換算したドラマ

 テレビドラマでも家事論が登場しました。ご記憶の方も多いと思います。2016年10月~12月に放送されたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(「逃げ恥」)(TBS系)です。家政婦として一人暮らしの会社員、津崎平匡(星野源)の家に入った森山みくり(新垣結衣)が恋に落ちるラブストーリーでした。

 平匡がみくりを常勤で雇ったのは、内閣府が専業主婦の労働は年収に換算すると304.1万円だとした試算をもとにして、常勤でもお互い損をしないと考えたからです。しかし、2人が恋愛関係になったとき、問題になったのは家事をどう扱うかでした。会社をリストラされ、プロポーズをした平匡の計算をみくりは鋭く見抜きます。「結婚すれば給料を払わず私をただで使えるから合理的。そういうことですよね」「それは『好き』の搾取です」。

 家庭を築く上では、愛情と家事の間にお金が絡む、という現実を世の中に問いかけた画期的なドラマでした。

お金を持つ人が偉いのか

 世の中には主婦に家事を全面的に任せた家庭がたくさんあります。家族は彼女のサービスをただで享受しています。主婦はお金を稼がないことで、夫に引け目を感じ、買い物をするにも夫の許可をもらわなければならないことが往々にしてあります。夫は稼いでいることを前提に、家長としての尊厳を保っています。

 しかし、夫の稼ぎがなければ生活費がなくて困るのと同様、妻の家事がなければ家族は快適な生活を保てません。食べるものに困る、着替えがなくて困る。もちろん買ってくればとりあえずは解決できますが、洗ってもらえないからと毎日洋服や下着を買っていたら、お金がいくらあってもたりませんし、家じゅうがものであふれてしまいます。

 稼ぎと家事は両輪で暮らしは成り立っているのです。このことを考えたとき、先ほどのみくりのセリフから気がつくことがあります。主婦はお金を稼いでいないかもしれませんが、それは家族が彼女が行う家事に対して、お金を払っていないからなのです。

 主婦の労働の経済的価値について最初に議論になったのは、1960年~1961年に起こった第二次主婦論争においてでした。その後、主婦の労働をお金に換算するという話は何度も議論され、やがて内閣府が試算を出すまでに至ったのです。

 では、みくりが迫ったように、お金を払ってもらえば夫婦の関係は対等になるのでしょうか。家事は、お金さえあればすべて外注してしまうことが可能なのでしょうか。次回は、愛情とお金の関係について掘り下げて考えていきたいと思います。


 

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