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FaceBookを覗くたびに"そっ閉じ"してしまうアノ気持ちの正体って?

いつからだろう? 知人の幸せに心から喜べなくなったのは。

facebookを開けば幸せそうな写真と文章で「これでもか」と私幸せなんですオーラを存分に醸し出してくる知人と言えば? と聞かれれば、十中八九脳内にはアナタの知り合いが思い浮かぶに違いない。
結婚しましたの報告、子供が産まれました、とある賞を貰いました、果ては自らの意識高い系ポエムがツラツラと。
正直しんどい。

他人の不幸は同情するが、幸せには素直に喜べない

幸せに対しての免疫力が低くなってしまったのかもしれない。あるいは、自身の心のキャパが年々目減りしているのか。
独身時代は、自分の心の狭さに辟易してfacebook自体から遠く離れるようにした。一定の距離を保つことで、心の精神衛生状態が平穏になるように心がけていた。

もちろん、祝いたい気持ちはある。

子供が産まれれば、こちらも暖かい気持ちになるし、結婚という新たな人生を歩み始めた友人にはエールを送りたいと思う。
ただ、どうしてだろう。facebookでの投稿のされかたが、少しヨソヨソしくて。過度に私幸せなんですアピールをしている風に見えて。
私が知っているリアルな友人は、ここまで着飾った表現をする人だったのだろうか?
LINEやメール、直接会えば全く違和感のない文章であるのに、一度facebookやsnsを挟めば余所行きのコンテンツに仕上がっているのだ。

その人の投稿なのに、その人らしくない

誰かのために書いた文章になった途端、内容から我の要素が影を潜め、公的な文章に仕上がるように感じている。
聞いてもいない御宅の事情や幸せエピソードを垂れ流すSNSに最近疲れてきたのかも知れない。かといって仕事に使っている人もいるだろうし、止めるに止めれない不思議な現象も起きている事実もある。
facebookでの情報収集を怠れば、社会性が失われる気がして。ついつい新規投稿を覗いて、欲しくもない情報にアクションをしてしまう自分が、確かにいるのだ。辟易しながら。内心はさめざめしながら、心にも思ってない「いいね!」を無表情で押す私。見たよ!が正しい表現なのかも知れない。

そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら。きっと私は、明日もfacebookを開くのだろう。

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