悪意のない悪意

一番苦手なもの。
これのおかげで、数年に1度はブチ切れる。
怒らねばならないな、とすら感じる(大袈裟)。

悪意を持ってないから無自覚だし、謝罪の言葉もない。
というか、わかろうとしていない。
だって悪いことをしたと思ってないから、なんでかわからないけど突然怒り出したと思うらしい。
その結果何が生まれるかというと、よくわからない弁明だ。
聞くに堪えない。
それなら黙ってるほうがマシ、火に油だよ。

「なんか、すまん」
の一言があればそれで良いのだが。

相手が怒っているとき、怒ったポイントそのものより、別のなにかが原因であることが多いように思う。
例えば、これまでの蓄積とか。
怒っている本人にすらわかっていないかもしれない。
それがわからずに弁明を始めると「逃げようとしている、全く何もわかっていない」という意思のもとでそこからの追い打ちが始まる。
まずは相手にはっきりと、怒っていることの輪郭を事細かに吐き出させるのが大切だと思う。
まぁそれはそれで辛いだろうけど、その程度で壊れる人間関係ならそこまでだろう、とは思う。
そのきっかけが、謝罪の一言かもしれない。

社会人をしていると、会社の立場として、安直に謝罪の言葉をかけてはいけない場面が、多々ある。
自分の立場上にも非があると認めたことになるから、付け入るすきを作ってしまう。
これは、自分の中では悪いことしたなぁ、と思っていてもその場で口にするべきではない。
これは正しい。
謝るときは、相応の人が行けば良い。

では、個人ではどうか?
そこまで組織に毒されていないか?

社会人としての対人と、友人との対人、家族としての対人。
全て違う。
ということが、よく分かるようになってきた。

社会人になると友達を作りづらいというのは、大きくこのせいではないかなと思った。

とまぁ、悪口はこの辺にして、もう悪意のない悪意みたいなのに触れたくはない、というだけ。

だから止めたものは、XやDiscordのサーバページなどを見ることである。
あとは、いろんなコメントを見ること。
結果的にはライブ配信は見なくなる。
あんまり使いたくない表現だけど、民度が、ねぇ。
礼を欠く、というか。
わざわざ見たくないものを見て「見たくないものだわ」と騒ぐだけの人とか。
変なタイミングで変な話題を振る意味不明な人とか。
何がしたいのかわからないけど、カロリーの無駄だよね。

もちろん、メンタルに余裕があれば見ればいいだけなんだけど、たった今メンタルに余裕があるかどうかがわからない。
だから避けて通ることにした。

とある配信者の方が言っていたけれど
「例えば、ファンの中に変な発言を、つまり世間一般に褒められたようなコメントをできない人が一人いたとする。
そうすることで界隈全体が嫌われることがある。
私はそれを許したくはない。
だから先程のコメントについては厳しく言及する。
同じファンの身として不愉快極まりない」
というものに近い。
まぁ、この方の発言は少し強過ぎる気持ちはするけれど。

僕としては、自分自身がそういう不愉快の中にはもう居たくないのだ。
あと、こういった怒りは冷めることがないということだけ記しておこう。

想像力の欠如がある人は、こういう悪意のない悪意を発しやすいと思う。
ようは、老人になれば多くなるのだと思う。

せめて、悪意を持って嫌がらせをした方が良いよ。
そうしたら遠慮なく縁を切れるからね。

その分だけ、自分のことを思ってくれる人のことに感謝せねば。
利害関係がなければないほど、第三者であればあるほど「良くなってほしい」と祈ってもらえることに感謝せねばならない。
泣いてくれた人だっている。
そうやって公言してくれる人も稀だけどね。
意味がなくとも、決して悪いことではない。

意味のないことのほうが、意味があるよりもずっと高級だったはずだ。

経過としては、4/1の血液検査の結果を持って退院が決定するらしい。
特に骨髄抑制などの副作用は今のところは確認されていないので、順調に行けばこのまま退院して、以後は通院での抗がん剤になるそうだ。

今回は、胆管の処置による食欲の減衰と抗がん剤とのダブルパンチで相当な状態まで悪化したけれど、次からはもう少しマシになると信じたい。

行くぞがん細胞、プロテインの貯蔵は十分か?

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