ライフコーチのAcoってどんな人?自己紹介です
初めまして、Aco です。
興味を持って下さり、ありがとうございます。
今でこそ、
自分軸で「わたし」の人生を
しなやかに軽やかに創り出す女性を増やしたい
という想いでライフコーチとして活動をしている私ですが、
物心がついた頃から20年以上、
「理想の私」を探し求めていました。
・私の夢はなに?
・どうやって見つけたら良いの?
・人生の選択ってどうやってしたらいいの?
何年経っても同じことでモヤモヤしていて、抜け出せない
周囲の友達のライフステージが移り変わっていくのを横目に
私だけが人生の波に乗れていないような気持ちでした。
そんな私がコーチングに出会い、
本当の意味で「自分軸」で生きられるようになった
今に至るまでをここで紹介したいと思います。
▷無意識に「他人軸」での生き方を吸収していた幼少期
1991年、京都のド田舎で生まれました。
兄1人と弟2人、
4人兄弟の2番目で
紅一点と言えば聞こえはいいですが、
実際は負けん気が強く、自分の好き嫌いを割とはっきりと自覚している子でした。
勉強もスポーツも卒なくこなせるタイプで、
クラスメイトや先生から褒められることに喜びを感じていました。
私の両親は、
学校の成績が良いこと=人間としての価値が高いということではない
という、今でこそ理解はできますが、
当時の私にはあまりピンと来ない理由から、
学校の成績に関して褒められた記憶はありません。
今から考えると、
たくさんいる兄弟の中で「わたし」を見て欲しい、
褒めてほしいという気持ちが芽生えていたのだと思います。
特に3つ上の兄に対する憧れは強く、
実は20代の半ばまで、事あるごとに比べてしまっていました。
兄は早生まれで、幼い頃は同級生に比べて体格が小さかったのですが、
抜群の自己分析と自分に合った計画を着実にこなす努力家で、
勉強もスポーツも常にクラスの上位にいるタイプでした。
また、早くに夢を見つけたことで、
そのゴールから逆算して着実に一歩一歩進んでいける、
いわゆる山登りタイプの人生を歩んでいるように、妹の私には見えていました。
兄弟みんなで、父に課題を見てもらっている時に
「〇〇(兄)はゲームみたいに楽しんで勉強が続けられるな」
「夢があって、そこに最短距離で進んでいけるのはいいな」
という父の発した何気ない言葉が、
幼い私には、単純に兄に対する褒め言葉として捉えられず、
そうでない自分は正解じゃないというように聞こえてしまいました。
自分以外の誰かや、社会が決めた
「正解」と「不正解」で物事を判断し、
両親に褒められるような、正解の人生を歩みたいという
「他人軸」の考えが私の価値観のひとつになりました。
そこから私は、
兄のように、夢を見つけて
最短距離で人生を進むことが正解だと信じて、
兄のように、山登りの人生ができるように
必死で自分探しを始めることになります。
▷自分探しの旅、第一章 〜学生時代〜
テニスプレーヤー
パティシエ
大学教員
と当時夢中になっていたことを夢として掲げてみたものの、
好きなことを仕事にしたらいつか嫌になるのかな?
きちんと生計が立てられるだけの収入が得られるかな?
安定して長く続けられる仕事かな?
という問いに自信を持ってYESと答えられずに
一歩も踏み出せない日々を過ごします。
高校進学も、大学進学も
その後の夢やなりたい自分がはっきりと見つかっていなかったので、
とにかく選択肢が狭まらないように、
ということを最優先に考えて進学先を決めました。
海外にも意識を向けたサークル活動や
フランスへの交換留学を経験したり、
友人との遊びも恋愛もして楽しい大学生活を過ごしましたが、
やはり時折顔を出す、
私の登るべき山はどこにあるの?
という問いに、答えが出せていなかったからです。
▷「就活をしない」選択をすることで猶予期間の延長
交換留学先のフランスで
「就活をしない」生き方に出会いました。
卒業を間近に控えたフランス人の友人達は、
長い学生時代を経て、これから本格的に自分の人生が始まると
語学を習得するためにワーホリをしに行ったり、
興味のある分野でインターンをしたりと目を輝かせていました。
人生の自由時間が終わり、
これからは社会人として真面目に働かなければならないと、と
就活に励む日本人の友人達とは正反対に見えました。
友人を介して見えてきた日本の就活のあり方そのものに、
入社後、会社の色にきちんと染まれるように
これまでの自分の色を消し、
いかに真っ白に漂白できるかということ
に全力を注がないといけないような違和感を感じました。
留学をしていたことで
同級生に比べて半年以上就活のスタートが遅れていることや、
残っている枠の中から選ばなければならないということも
「負け試合」のように感じられ、
負けん気の強い私は
フランスで出会った「就活をしない」選択をすることで、
自分探しの期間をさらに延長することにしました。
この時も、
第一志望だった国立大学へ進学し、留学を経て、東京の商社に就職した兄と、
センターで失敗するまでは知らなかった
地方の公立大学へ進学し、留学を経て、まともに就職をしなかった自分を比べて
周囲の人はどう思うかな?ということを気にしていました。
「自由」と言えば聞こえが良いですが、
全く肩書きがないまま社会に放り出された私は、
いつまで経っても見つからない「理想の私」を
海外にまで追い求め、20代の全てを費やすことになる、
自分探し、第二章を幕開けすることになるのです。
▷自分探し 第二章 〜20代〜
ベルトコンベアに乗せられて、
同世代がある程度同じように工程を進んでいく教育システム上、
学生時代には知らなかった
「ライフステージ」というものに、社会に出てから直面しました。
特に、その変化が大きい女性の場合は
友人の結婚ラッシュ、妊娠の報告、子育ての話、
仕事面での出世などが耳に入ってくるようになり、
これまでは兄との比較だけで済んでいたのが、
今度は同世代の友人とも比較するようになっていました。
「就活をしない」選択をし、
社会のレールから外れて「不正解」になった私と
「正解」の社会人生活を送っている友人や
ライフステージの先を進む友人を比較して、
「理想の私」という青い鳥をこんなに頑張って探しているのだから
いつからか噛み合わなくなった、
思い描いていた人生の歯車を巻き返すような
一発逆転ができるものを見つけないと
という焦りのような気持ちもありました。
フランス生活で「就活をしない」という
新しい生き方を知った時のように、
海外に行けばもっと自分に合う生き方が見つかるかもしれない
という想いがフツフツと湧いてきて、
24歳の時に海外に出ることを決めます。
永住権の取得を考え始めたのもこの頃で、
当時の私にはこれが大きな一発逆転のように思えていました。
運よくカナダのワーホリ期間中に
永住権取得の手続きを手伝ってくださる雇用主が見つかり、
30歳の時には無事に永住権を取得できたものの、
残念ながら、人生の一発逆転は叶いませんでした。
海外に出ても、
永住権を取得しても、
私の登るべき山はどこにあるの?
という問いに答えが見つからないことが、
年齢が上がれば上がるほど焦りにも変わっていきました。
▷人生の転換期
30代を目前にした頃、たまたま読んでいた本に
「山登りの人生」と「川下りの人生」
があると書いてあり、とても衝撃を受けました。
「ザ・山登り人生」の兄に憧れ続けた20年、
夢が明確にないことや
最短距離で人生がサクサク進めないことへのもどかしさ、
社会のレールから外れてしまったことや
ライフステージの先を進む友人と比べての焦り、
いつまで経っても現れない、私の登るべき山
など、これまでの自分探しのテーマに対しての見方が180度変わりました。
私は物心がついた頃から、
兄のような、自分の登るべき山を探し求めていたけれど、
実は、悠々自適に山々の景色を見ながら川下りをしていたんだ、と。
どんな海に繋がっているのかは分からないけれど、
川の分岐点に差し掛かった時々で
右に左に、心の赴くままに選びながら流れていたんだと。
私の人生は山の麓で立ち止まっていた訳ではなかったんだと。
▷コーチングとの出会い
「川下りの人生」の存在を知った私は
それから、セルフラブやセルフコーチングをするようにもなります。
その中で、これまでいかに「他人軸」に振り回されてきたか
ということにも気が付きました。
子ども心に、無意識に芽生えた両親に褒められたいという気持ち、
長年の教育の中で形成された、
勉強ができたら褒めてもらえるという
周りの評価に依存した自己受容、自己肯定感の形成、
「ザ・山登り人生」で花道のような人生を
最短距離でサクサク進むように見えた兄との比較も、
ライフステージの変化という波を
難なく乗りこなす友人達との比較も、
最終的には自分を基準に意思決定をしてきたつもりだけど、
やはり「他人軸」に大きく影響を受けていたなと感じました。
コーチングに出会えたことと、
これまでの海外生活の中で
日本の社会に居たら気付けなかったような視点を
いくつも経験していたことは大きな追い風になり、
「他人の人生」と「私の人生」とを別物として認識し、
私の人生をより充実したものにできるか、のみを基準に、
本当の意味での「自分軸」で生きることができるようになりました。
▷終わりに
・自分の「やりたいこと」が分からない
・仕事が忙しく、自分の将来はこのままでいいのかなと不安に思う
・現状を変えたいけれど、なにをどこから始めて良いのかも分からない
というあなたにこそ、
コーチングを試してみて欲しいと思います。
日本社会で生きていると
気が付かないうちに教育や文化の中で、
無自覚に「他人軸」の影響を受けてしまうように感じます。
自分や周りのライフステージの変化に伴い、
「わたし」を見失っていたことを自覚しても、
何をどこからどうすれば良いのか分からない人も多いのではないですか?
そんなモヤモヤをひとつひとつ紐解いて、
「わたし」の人生を創り上げ、しなやかに、軽やかに生きていきたい
と願うあなたのお手伝いができたら、とても嬉しいです。