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コウモリと2晩過ごした話


ちょっと思い出すだけで
わたしの人生には、
数えきれないほどのコウモリが出演している。

わたしは長野県出身である。
父方の祖父母の家も長野県である。
小さい頃から夏休みに祖父母の家に遊びに行くと、絶対にやることがあった。


実際とは違うが雰囲気は近い。鯉はもっとドブ色

田舎の広い平屋の一軒家。 
家の横には宝など何もない大きな蔵があり、
その横にドブみたいな池もあった。
夜になるとドブ水を吸い上げる装置が動き出し、ドブ水は噴水となり、それを白熱の間接照明で照らしていた。 
ムードなど微塵もない。
その池にはドブみたいな色の鯉が、ビチャビチャと下品に泳いでいた。
可愛がったことなど一度もない。
おばあちゃんは、生ごみを捨てた後のバケツをその池で洗っていた。
そら!エサだよ!と笑っていた。

その後ろには先祖代々のお墓が立ち並ぶ山があり、山の斜面にはなぜか錆びた鉄格子で監禁されたみたいなお地蔵様の小屋があった。

その山の麓に小さめの洞窟があった。
毎年夏に、庭の畑から大きいスイカを採ってきてその洞窟に置いて冷やしていた。

わたしと3つ上の姉は、怖いから絶対に中に入らなかった。中はどんなに目を凝らしても漆黒の闇なのでどんな作りになっていたか全く知らない。
おばあちゃんが、カゴにスイカを入れて、腰を曲げながら1人でスイカを置きに入って行っていた。
ある日、スイカが冷えるのを待っている間、洞窟の中に小石を投げてみた。
下から上の方に向かってポーンと投げ入れた。
その瞬間、

ピギャーーーピギャーーー!!!!

おびただしい数の真っ黒なコウモリが飛び出てきた。しかも、コウモリたちは迷うことなく、隣人宅の少し大きめの観音開きの開けっ放しのトタン製物置に吸い込まれるように入って行った。

( ˙o˙ )( ˙-˙ )

わたしと姉はそれはそれは驚いて言葉を失い立ち尽くしたのを覚えている。
しかし、そこは子どもである。
自分に何ら害がないと知ったとたん、調子に乗るのが子どもである。

すぐに「なんだあれ!!」と興奮し、また石を投げ入れた。しかし洞窟は静まり返っていた。
のちにコウモリは1度隣人宅の物置に入ったら夜にならないと洞窟に戻らないことを知る。

そのため夏に訪れる度に、貴重なその場面に一石集中して投げていた。
もちろん毎回ピギャー!である。

これがわたしの初めてのコウモリとの出会いである。

ここまでは、まだ序章に過ぎない。
まだ半分も語っていない。
コウモリ恐怖症の方はここでやめていただくのをおすすめする。


中学生の頃、
わたしの実家から少し歩くと、田んぼが広がっている場所がある。
夕方17時ごろ、その辺りを歩くとコウモリが低空を飛び交っているのをよく目にしていた。

ぼーっと見ながら、夜はどこへ帰るんだろうなーくらいにしか思っていなかった。
後に、その軽い疑問はすぐに解決する。

あの日は夏だった。
夏休みに家族で祖父母の家に2泊3日ほど行き、
帰宅した。
2日分の郵便物がポストから少しはみ出て刺さっているのを横目に、ガチャ、ドアをあける。
ムワッとした熱気を感じた直後だった。

ぎやあああああああああああ

顎が外れそうなほど叫び倒した。
腰は完全に抜けていた。

なんと、廊下の左右の隅に何かがたくさん連なって死んでいた。
すぐにコウモリの死体だと気付く。
(以後【ソレ】と呼ばせていただく)

恐怖でわたしと姉は叫び続けた。

ばか!うるさい!!!

父に怒られた。
暑いしなんかムワッと臭いし、怖いし気持ち悪いし、怒られるし最悪だった。

しかし親というものは本当に強い。
ズカズカとコウモリ屋敷に状況確認へと乗り込んでいった。
ドアが開いている部屋には、もれなくいた。
(のちにこれがトラウマになり、出かける際には必ず全部屋のドアを閉めるようになる)
母はキレイ好きだったので、物が少ないとソレを見つけやすい。こんな時に功を奏す。

こっちの畳にもいたぞー!父が元気よく叫ぶ。

そして母は当たり前のように、玄関にあったホウキを父に持って行った。
これが長年連れ添った夫婦の阿吽の呼吸である。
父はこれまた当たり前のように、畳の部屋の窓を全開にし、ソレらを勢いよくサッサッと庭に掃き出した。
思い出しただけで、座っていても目眩がする。

幸い、2階の部屋は全てドアが閉まっていたので、ノー被害だった。

ちりとりとホウキだけで、ソレらを片付けていた。あの頃はアルコール除菌スプレーなど家になかったと思う。
全て片付け終わったあとに、父は「よし!」と言っていたが、今でも何をもってヨシとしたのかナゾである。

その後、父は庭に穴を掘り、ソレを埋めて、シャベルでパンパンと叩いていたのを覚えている。わたしは部屋の中で隠れてその様子をアワワワワと見守っていた。
ハタから見たら完全に犯罪家族である。
ご近所さんに「叫び声聞こえて少ししたら、庭に何か穴掘って埋めてます!」と通報されても
その通報にウソはない。
今でもドラマで庭や山に◯体を埋めるシーンを見ると、絶対に思い出す。

のちにソレはどうやって入ったんだ!と話題になり、恐らく、郵便ポストの貯まった郵便物の隙間から入り込んだんだろうと話がついた。
それ以外に思いつかなかった。
その日以降、外泊する際にはポストはガムテープで塞ぎ、ポストの下にダンボールをおいて「郵便物はここに入れてください」と貼り紙をしていた。
こうして人間は体験をもとに知恵がついていくのだ。

さて、ここからが今回の本題である。

わたしが高校生になり、姉も大学進学のため、東京に行ってしまった。

姉が使っていた8畳ほどの部屋をわたしが受け継いだ。部屋にはよくある勉強机とシンプルなベッドだけ。天井のライトは昔ながらの四角いカバーで丸い蛍光灯。

夜眠る時には必ずオレンジ色の灯りを残したまま寝ていた。

その時期、わたしは女子高に通っており、女子ならではの仲間外れに遭っていた。 
高校くそつまんないなー、そう思いながらも毎日休むことなく通学し続けた。

いつも21時には就寝していたと思う。
わたしは普段、夜中にあまり目が覚めないタイプだったがこの日は違った。
うっすらと目を開けて、天井の蛍光灯を見た。
オレンジの光をバッグに何か黒いものが忙しなく飛んでいる気がした。
しかし、眠すぎてすぐに目を閉じた。 

翌朝、わたしはその出来事を思い出すこともなく、またクソつまんない高校へと向かった。

またその日も夜早めに就寝。
そしてまた夜中に何かの気配でうっすらと目が覚めた。
眠くて思考は止まっているはずなのに、昨夜の光景のことが急にフラッシュバックした。
急に目がギン!となり、薄暗いオレンジの蛍光灯を凝視した。

あー飛んでるな。


もう何匹もアレを見てきたわたしが、
絶対に見間違うはずがなかった。
絶対にアレだと確信したわたしは、物音を立てぬように、そして無駄な動きも一切なく、スッとベッドから抜け出すと、瞬時に部屋のドアを開け、逃すまい!!!!!その一心でドアをバン!としめた。
気持ちだけは、獲物を一角に捕らえたスナイパーである。

瞬時に脳内で今後の動きを考える。
アレをソレできるのは父のみである。

爆睡していた両親の部屋のドアを、何の気遣いもなくバアアアン!と開け、叫んだ。
 
助けて!!!いるいる!!
コウモリが部屋にいる!!!

そう叫ぶとポロポロと涙が出てきた。

普通のご家庭なら、はあ?だろうが、
我が家は違う。
コウモリのソレを埋めた共犯一家なのである。
もうそこに何の疑いもない。
話は早かった。

母はやはりホウキを持ちに一階に降りて行き、
父はすぐに現場へ直行。
状況確認である。

「電気のとこ見て!飛んでる!回遊してる!」
言うだけ言って、わたしは2階の廊下で立ち尽くしていた。

母が息を切らして階段を駆け上がる。
父はすぐにホウキを受け取り、わたしの部屋の窓を全開にした。
そしてすぐに部屋のドアを閉めた。

季節など覚えていない。
寒かったかも暑かったかも何も記憶にない。

部屋の中で父がコラ!オイ!こら!とホウキを振り回している気配だけはわかった。
なんせ父も生きているコウモリと対面するのは初めてだったと思う。
ホウキを振り回す音だけが聞こえた。
ドアの中の緊迫した空気に、母とわたしは息を呑む。

ガチャ

父がゼェハァしながら出てきた。
騒動の収束を瞬時に察した。

「窓からやっと出てった、、、」

そういうと父はすぐ寝室に戻って行った。
父は明日の朝起きてこのことを覚えているだろうかと言うほどの、即寝だった。
幻の記憶であれ、と願う。

翌朝やはり皆覚えていた。
「よく気がついたねー」
褒められた。
そういうことじゃないんだ。
どこから入ったか、
どこにいたのかが問題なのだ。

どこから入ったかは未だに不明だが、
1日目に睡魔で見逃してしまったあとに、どうやら昼間はベッドの裏に居たのだろうと言われた。
そこしかぶら下がることができる場所が見当たらなかった。
夜になってそこから姿を現したに違いない。

その日以降、わたしはベッドをやめ、布団で寝ることになった。

東京の姉にも共有しなくては!と電話すると、うそでしょ!ギャハハと笑っていた。
現場にいない者には緊迫感は伝わらぬと諦めた。

この日以降、コウモリを肉眼で見たことがない。

今更だがコウモリに関するスピリチュアルは、良いものも悪いものも出てくる。

だがここでこそ、カスタムスピを発揮する。
良いことだけを、かいつまんでみよう。

コウモリは、視力がとても低い生き物なので超音波を頼りに飛んでいるらしい。
その結果エネルギーや波動が高い場所を選んでやってくると信じられていて、台湾(外国)などではコウモリの住み着いた家は幸せを運んできてもらい、繁栄すると言われているらしい。

のちに、父は当時県で最年少の若さで教頭になり、すぐに校長へと抜擢されている。

わたしはと言うと、クソつまんない高校生活が1週間で大どんでん返しした。
すぐに笑いのツボが合う友人たちのところへ行き、お弁当一緒に食べていい?と聞くと、何も聞かずに受け入れてくれ、その後の高校生活を毎日大爆笑で過ごした。
あの時の友人たちには本当に感謝している。
一生幸せでいてほしいと願っている。
青春時代なんて、少しの優しさと面白いことで大笑いする体力だけあればいいのだ。

ちなみに、
わたしはコウモリに感謝はしていない。


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