ともだちについて

大学時代の友人との交換日記を記します。
megは思慮深くて人の気持ちに寄り添える人。たおやかな印象と芯の強さとブレない姿勢を持ち合わせた、違和感にきちんと声を上げられる自慢の友人です。

meg へ

おばんです
(おばんですっていうのは東北の方でこんばんはって意味みたいです。でも京都でもいいそうだよね。言うのかな、調べます)

交換日記をしようという案にのってくれてありがとう。それを公開するのは何か不思議なことなのかもしれないけれど、書き記して残しておく、ということで自分を形作れる気がしました。そんな風にいうとかなり大きいことのような気がするけど、考えたことや感じたことってすぐ忘れてしまうので、誰かに向けた言葉を自分もいつでも見えるようにしておきたかったんです。付き合ってくれてありがとう!

今回何を話そうかなと考えたんだけど、ともだちについて話したいなと思った。

わたしが友達ってものを意識したのは、遅くて高校生の時。そもそも、それ以前の記憶があまりないというと都合がいいのだけど友達ってなんなんだろうって考えたのが高校生の時でした。中学の時は、勉強のライバルって意識も強かったり、でもわがままを聞いてくれる他人として落ち着いてたりしたけど、自分勝手でわがままな最悪なガキだったな。

地元を出て、全く新しいコミュニティに飛び込んだとき、そんなふうにひねくれてるわたしは、周りと全く馴染もうとしなかったんだよね。
さびしいくせに、わたしは人と違うと思っていてなぜか同級生に馴染むのが嫌だったのね。
そんなとき、父親に「欲しいと思わなければ作らなくていい」と言われてすごく気が楽になったけど、やっぱり自分を知ってくれる人が欲しかった。それから軽音部に入ってバンドを結成したけど、「人と違う自分」に固執して遊びに誘われても行かなかったりして。いやー!中二病から高二病に進化しても成長しなかった!!

いま思うと人と同じを経験してから、違う部分を作っときゃよかったなんて思ったりする。そんなわたしは、つくるという気持ちがないまま進んでいたのにたくさんの友達や仲間に囲まれていたりして。なぜなんだろう、と思うけどその答え合わせをするために友達や仲間に向き合っていきたいなというのが最近の思考です。

選んでくれたみんなに、選んでよかったと思ってもらえる自分になれるように何ができるだろうっておもうけど、いまは少しやすみやすみ、整理する時間にしています。

あらためて、ともだちとしてよろしくね。
交換日記をする中になってくれてありがとう。そんなあなたの考えていること、思うことを聞きたいです。

お返事待っています。

追伸
今日、お花を買いました。
megはどんなお花がすきですか?
お花畑とか行きたいな