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コースを学んでいく上で知っておくべき二つの「レベルの混同」について

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践をしていく上で、私たちがもっとも気をつけておかなければならないことがあります。

それは、「レベルの混同」というものです。

レベルの混同については、コース学習者が明瞭に理解しておかなければならないし、警戒しておかなければならないもっとも重要なことだといえます。

というのも、レベルの混同をしてしまうなら、その学びと実践が歪曲したものになってしまうことは避けられないからです。

つまり、レベルの混同をしてしまうなら、コースの学びであるはずのものが、もはやコースの学びではなくなってしまいかねないということです。

それは、コースの学習者のみにかぎらず、非二元の真理を探究する者たちにとっても、共通して警戒しておかなければならないものだと言うことができます。

ようするに、レベルの混同について、私たちはしっかり明瞭に理解しておく必要があるということです。


ということで、「レベルの混同」について理解することにおいて、まず、私たちが知っておかなければならないのは、「レベルの混同」には二つの種類があるということです。

一つは、「第一レベル」と「第2レベル」とのレベルの混同です。

もう一つは、「心のレベル」と「形態レベル」とのレベルの混同です。

今回は、その二つの「レベルの混同」について書いてみようと思います。



「第1レベル」と「第2レベル」のレベルの混同

まず、一つめの、「第1レベル」と「第2レベル」のレベルの混同について、です。

これは、コースの教えを学んでいくにおいては必ず理解しておかなければならないものだといえます。

そうでないならば、「What の道」と「How の道」を見誤ってしまうことになるということです。

コースは実践的、実用的な霊性の道(How の道)なのだということを覚えておきましょう。

つまり、コースの教えを理解していくとき、第1レベル第2レベルに分けて捉えていくということです。

コースは、第1レベルでは「この世界は幻想である」という非二元(一元論)の真理が述べられつつ、第2レベルでは「この幻想世界の中にいながら、どのような考え方でどのような実践をしていくのか」について述べられています。

この第1レベルの教えと第2レベルの教えを混同してしまうと、何のためにコースを学んでいくのか?何のために実践していくのか?そのことに混乱が生じてしまいかねませんので、そこは明瞭にしておくべきです。

つまり、コースでは、第2レベルに主体をおいて述べられているということです。

この世界の夢の中で私たちはどのような考え方でどのような実践をしていけばいいのか?について、コースは述べられているのだということを覚えておくと良いでしょう。

参考:『奇跡講座』の理論(JACIMサイト本館)


「心(原因)のレベル」と「形態(結果)のレベル」のレベルの混同

そして次に、もう一つのレベルの混同が、「心(原因)のレベル」と「形態(結果)のレベル」におけるレベルの混同というものです。

コースは、あくまでも原因(心)についてのコースであるということを覚えておかなければなりません。

それがどういうことなのか?といいますと、

コースは、結果(形態/行動/肉体)のレベルのことについては述べられていないということです。

ですから、その学びも、実践(訓練)も、この世界におけること(形態/行動/肉体)と分けて捉えていく必要があるということです。
(もちろん、この世界のことを否定していくわけではありません。)

コースで述べらていることは、この世界のこととは一切関係ないということです。

コースで述べられている内容はすべて心のレベル(原因のレベル/内容のレベル)について述べられているということを知っておきましょう。

たしかに、コースを読むならば、この世界のレベル(形態レベル/行動レベル/肉体レベル)のことについて書かれてあるかのように読むこともできます。

なので、よほど注意深く学んでいかないかぎり、コース学習者の多くがこの混同を起こしてしまうといえましょう。

私たちがコースを読むとき、それらがすべて比喩で述べられていることを理解したうえで、その文脈(内容)のほうを受け取っていかなければならないということです。

コースで述べられているそのすべてが形態とは関係がないということ、そしてそれらは心について述べられているということをしっかりわきまえて理解していくということです。

例えば、

心のレベルと形態のレベルの混同でもっとも分かりやすい例として、コースの学びの成果についての混同が挙げられます。

「赦しをしたら、現実がこんなふううに変わった」「赦しをしたから、ものごとがこんなふうにうまくいった、うまく好転した」といったふうに形態における変化を重要視して、それをコースの学びの成果だと勘違いして捉えてしまうことなどです。

その例は、他にもたくさんあります。

「約束の時間に間に合いそうにないとき、なぜか間に合った、、、」

「なかなか売れなかった家が、突然、家が売れた、、、」

「怒りぽかった上司が、なぜかその上司が優しくなった、、、」

「なぜか飛行機でファーストクラスで行けた、、、」

「予想外の収入があった、、、」

私たちはつい、そんなふうに結果(成果)を重要視してしまいがちになります。

何度も言いますが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えている内容は、そういうものとは一切関係ないということです。

コースがそのような霊性の道であるということをあらかじめ知っておくことはコース学習者にとってとても重要だといえるでしょう。

なぜなら、それによってコースの学びと実践が大きく違ってくるからです。

コースはこの世界のすべて(形態)は実在しないもの(虚偽)と教えているわけですから、当然、私たちコース学習者は形態(結果)に対してそれらを実在させない方向で心を訓練していくのだということです。

では、形態レベルにおける成果について、コースではどのように捉えていくのか?

というなら、形態(結果)が変わることもあるかもしれせんし、変わらないかもしれないし、それが重要なことではないということです。

形態(結果)が好転しようがしまいが、悪化しようがしまいが、むしろ、私たちはそういうことから自由になることを目指してコースを学んでいるのだということを忘れないようになしましょう。

いかなる状況であろうが「私は平安を選ぶことができる」というのが、コースの実践を通して私たちが目標としているゴールなわけです。

コースを学んでいる私たちがとっていくスタンスとはそういうものであり、そのような考え方、知覚の仕方を修得していこうとしているわけです。

ちなみに、それは行動(形態)レベルにおいては何もしなくてもいい、何もする必要はないと言っているのではけっしてありません。

形態レベルにおいては、この世界のルール(常識)に従ってすべきことをしていきますが、そこ(形態)に重きを置いたり価値を置いたりしない、ということです。

コースの学習者である私たちがしていくことは、この世界で体験していくことを使って赦しのレッスンをしていくのであり、そのレッスンは心(のレベル)における訓練なのだということです。

コースは、何か行動をして訓練していくような道ではないということ。

あくまでも、コースは、心(原因)を変えていく道なのだということ。

それは、コースを学んでいく上で、明確に理解しておかなければならない重要なポイントだといえます。

これは原因についてのコースであり、結果についてのコースではない。(T-21.Ⅶ.7:8)

奇跡講座/中央アート出版社


以上、2種類の「レベルの混同」について書いてみました。

コースが教えていることを真に理解していこうと思っているコース学習者であるならば、上記の2種類の「レベルの混同」について理解しておくことは必須だということを覚えておきましょう。

言い換えるならば、上記で述べられていることが理解できないのであるならば、まだまだコースの教えを理解しているとはけっしていえないといえましょう。


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