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光が近づいてくると、あなたは闇へと急ぐ

コース学習者ならば誰もが必ず経験すること

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを真に理解するようになるとき、私たちは必ずコースの教えに対しての抵抗を経験することになります。

その抵抗はどんな形で現れてくるかというと、コースが嫌いになったり、コースを学びたくなくなったり、コースの学びをやめたくなったり、、、あるいは、虚無感、絶望感、恐怖感にかられるようになったりと、そさまざまな形で現れてくるということです。

それは、必ず、と言っていいほど、コース学習者ならば、もっといえばコースが教えていることを理解するようになるとき誰もが経験することだといえます。

いわゆる、自我の抵抗を自覚するようになるわけです。

それというのも、私たちは、神の愛を恐れている、目覚めることを本当は恐れているからです。

その恐れは、自覚していようがいまいが、この地上にいる私たち誰もが共通して抱いているものです。

その恐れを抱いていない者などいません。

それゆえに、コースの歩みがはじまると、つまり、真理の光に近づくにつれて、闇(恐れ)のほうに逃げ出したくなるというわけです。


”光が近づいてくると、あなたは闇へと急ぐ。真理の前で縮み上がり、あるときは、些細な形の恐れの中へ、またあるときは、正真正銘の恐怖の中へと逃げ込む。”(T-18.Ⅲ.2:1)

奇跡講座/中央アート出版社


つまりは、コースを真摯に学んでいくならば、内側にある恐れが顕わになるということです。

私たちの無意識に隠されていたものが表面化(顕在化)していくということです。

そう、コースの歩みがはじまると、平安よりも罪悪、恐れのほうを好んで、恐れを握りしめている自分(=自我)を自覚するようになるということです。

ただし、恐れへと逃げ込むことがいけないということではけっしてありません。

自我とはそういうものなのだということを知っておく必要があるということです。

自我は恐れのほうを大事にしたいわけです。

そして、私たちはその自我と同一化してしまっているということです。

その自分(自我)を自覚していく(咎めずに見ていく)こと。

それが、私たちに求められていることです。

それが、「自我(幻想)を聖霊(真理の光)と共に見る」ということです。

ですから、コースの学びのプロセスにおいて理由もなく恐れが湧き起こってくるとき、それは光に近づいているということなのだと知っておくとよいでしょう。

本当はすでにそこに光(愛)が臨在しているにもかかわらず、ただそれを拒絶しているだけなのだということです。

そうは言っても、あまりにも恐れが強すぎて、どうしようもなくなるときがあります。

そういうとき、どうしたらいいのか?

というなら、いったん立ち止まることです。

もっといえば、その恐れをよく見る(直視する)ことです。

ワプニック博士は、そうなったなら、「Do stop.」と云います。

あまりにも恐れが出てくるなら、止まりなさい!と。

恐れに対してどうにかしようとしないこと。

もしどうにかしようとするなら、かえって恐れを増長させることになりますし、逆効果となるだけです。

恐れと戦おうとするなら、それがさらに分離を強めることになりかねません。

どうにかしようとせずに、じっと静かに恐れと共に留まりなさいということです。

ただし、そのようにできるようになるには、それなりの学びと訓練を要するといえるでしょう。

「コースを学ぶ」というのは、ある意味で、まるで向かい風に向かって歩んでいくようなものであると知っておくとよいでしょう。

自我の抵抗、つまり、真理に対する恐れが湧き起こるのは驚くべきことではないということです。

むしろ、その抵抗や恐れを認識していくこと、そしてそれを取り消していくことがコース学習者の私たちがしていくことなのだということです。

抵抗や恐れと真摯に向き合っていくならば、コースの形而上学を携えてそれらを直視していくならば、それらの正体をはっきりと認識することができます。

そのとき、それらは何の力もなかったことを知るでしょう。

それをコースでは、「聖霊のもとに運ぶ」「聖霊と共に見る」という言い方をします。

抵抗や恐れといったものを聖霊のもとに運ぶとき、あるいは、聖霊と共に見るとき、それらは取り消されるということです。

そう、それらを取り消していくことが、コース学習者の私たちに求められているわけです。


”このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。それは教えることのできる範囲を超えているからである。しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは目指している。”(T-In.1:6-7)

奇跡講座/中央アート出版社


コースはそのような実戦をしていく霊性の道であるということを覚えておくとよいでしょう。


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