自我の思考体系から脱却していく唯一の方法
聖霊(正しい心)の教師を招待するために
コース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践では、
自我(の思考体系)か?聖霊(の思考体系)か?
その選択をしていくわけですが、
私たちがまず知らなければならないことは、
通常、私たちが二元性に基づいて考えている思考体系、それこそが自我の思考体系なのだということです。
つまり、私たちは、常に、自我の思考体系と同一化した状態になっているということです。
しかも、まさかそれが狂気の思考体系であるとはまったく分かっていないわけです。
私たちはそのことにまったく無自覚になっています。
それゆえに自分がこの時空の夢に縛られた状態になっているということの自覚がないのです。
実際のところ、そうであるにもかかわらず、私たちは自分についてどう思っているか?というなら、
自分は分かっている、自分はまともで、自分の考えていることは正しい、と思っているのです。
その証拠に、この世界の夢の主人公として、それが自分だと、そしてそれが現実だと信じて、そのことをまったく疑おうとはしません。
つまり、私たちは、今や自我の思考体系にがんじがらめになって囚われた状態になってしまっているということです。
ならば、
自我の思考体系から脱却していくにはどうしたらいいのか?
というなら、
まずは自分が自我の思考体系と同一化していることを自覚することです。
そして、その思考体系のままではけっして幸せにはなれないことを知る(悟る)ことにつきます。
そこから、ようやく自我の思考体系から脱却していく実践(訓練)が可能となります。
その実践はというなら、
シンプルに言えば、自分の考え(想念/信念)の一つ一つを見つけ出していくこと、そして、その見つけ出した考えを疑問視していくということです。
そうするとき、私たちは「真に見たい、別の見方で見たい」(W-p1.20,21)と望んだことになります。
つまり、自我を教師とする代わりに聖霊(正しい心)の教師を招待したということです。
そうすることによって、(正気の/正しい)心が開かれるのです。
いわゆる、ヴィジョン(心眼/真の知覚)が開かれるということです。
それを実践していくならば、明晰でクリアなマインドがもたらされるのを経験するでしょう。
それは、あなたの内側で、気づき、正気さ、明晰さ、平安、安堵感を伴って立ち現れてくるでしょう。
つまりそれは、疑問視したことに対する聖霊の答えとしてもたらされるということです。
ちなみに、コースでいう「聖霊(正気/正しい心)のガイダンス」とはそういうものだということを知っておくと良いでしょう。
それは、けっしてこの世界のこととは一切関係ないものです。
ようするに、私たちが理解しておかなければならないのは、自分の考えに対して疑問視するということが、コースでいう「自我を教師とするのを止める」ことであるということです。
そう、その疑問視こそが、「私は分かりません、私は間違っていて、私は真に知りたい、真に見たいです」と宣言したことになるわけです。
つまりそれが、自我の思考体系から脱却する方法なのだということです。
そして、その実践をコース(奇跡のコース/奇跡講座)では、「自我を教師とする代わりに、聖霊を教師として招き入れる」と呼んでいるということを覚えておきましょう。
Don't know mind と I know mind
上記で述べたように、自分の考えを疑問視していくことが、自我の思考体系から脱却していく方法であり、ヴィジョン(心眼)が開かれていく方法だと言うことができます。
言い換えるなら、それが、私たちがしていかなければならない実践なのだということです。
そうであるにもかかわらず、普段の私たちはまったく真逆なことをし続けているのが分かります。
自分は分かっている、自分はもう知っている、自分が正しい、自分はまともだ、、、
というふうに、自分の考えや自分が知覚しているものをまるで疑うことすらしません。
その心の在り方の状態を、「アイ・ノウ・マインド(I know mind)」と呼んでいます。
自分が考えているもの、見ているもの、感じているもの、知覚しているもの、それらが正しくて現実であると信じて疑わない心の在り方を言います。
私たちが学ばなければならないのは、その「アイ・ノウ・マインド(I know mind)」のままであるかぎり、自我の思考体系から脱却するのはけっして不可能だということです。
もしそうであるなら、自我の思考体系にがんじがらめになったまま、もはや平安と静けさからはまったくかけ離れた経験をしていくことになるということです。
自分の考えを疑問視していくことが、いかに重要であるか?
それが、いかに自分に解放と自由をもたらすことになるのか?
そのことについて私たちは学ばなければならないと、コースのイエスは強調しています。
自分の知覚している世界から自由になっていくためには、自分の価値観や考え(想念/信念)を疑問視していく以外にないということです。
それは、「自分は何も分かっていない、自分は間違っている」ということを全面的に受け入れていくことを意味します。
それが、「ドント・ノウ・マインド(Don't know mind)」という心の在り方です。
そうしていくならば、明晰さ、平安と共に、この世界の夢からますます目覚めていくことになります。
覚えてkおかなけれならないのは、「ドント・ノウ・マインド」というその在り方が、私たちにヴィジョン(心眼)をもたらすのだということです。
そしてその逆が、「アイ・ノウ・マインド」というものです。
私は分かっている、私は知っている、私は正しい、、、というふうになっているならば、それは自我の思考体系の囚われの身となることは避けられません。
そうであるならば、この時空間の中の入り込んでしまうだけでなく、この時空間の囚人となってしまうのだということを知っておく良いでしょう。
ようするに、
常に、疑問視している状態でいることが私たちに求められているということです。
そしてそれが、コースで言う神の教師の特徴の開かれた心の状態なのだということです。
そう、それこそが、コースの学習者の私たちが修得(マスター)していくべきものなのだということを覚えておきましょう。
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