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聖霊のヴィジョンを受け取るために注意すべきこと

聖霊の答えとは?聖霊のガイダンスとは?

例えば、誰かを裁いている、攻撃しているときに、

自分がしていることについて、

「これが本当に自分を幸せにするのだろうか?」

というふうに疑問を投げかけるならば、当然、内なる正気の声は「NO!」と答えてくるはずです。

もっといえば、

自分が思考している(考えている)ものについて、

「イエス(聖霊)はこのように考えるだろうか?」

というふうに自分の思考を観察していくなら、それらはとうていまとも(正気)な考え(思考)じゃないと気づくはずです。

つまり、自分がしていること、自分が考えていることを、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の教えに基づいてじっくり直視していくならば、「それらはけっして愛や平安をもたらさない」と認識されていくわけです。

もっといえば、自分が抱く思考はまさに狂気だと認識されていきます。

それが狂気だと気づいている視点、それこそが正しい心/正気の視点だといえます。

ようするに何が言いたいのか?と申しますと、

自我(思考)を直視して、さらには疑問視していくならば、正しい心/正気からの答えがもたらされるということです。

つまり、それが「自我を教師とするのをやめる」「自我を聖霊のもとに運ぶ」「聖霊を教師として招き入れる」ということなわけで、

そして、それによってもたらされる答え、それこそがコースで「聖霊の答え」「聖霊のガイダンス」と呼ばれるものなわけです。

ですが、残念なことに、多くのコース学習者は「聖霊の答え」「聖霊のガイダンス」についてまったく誤った解釈をしてしまっていると言うことができます。

多くのコース学習者がまったく間違ったガイダンスの受け取り方をしていると言わざるを得ないということです。

ちなみに、それがいけないということではありません。

私たちが学ばなければならないのは、そのような間違ったガイダンスの受け取り方をすることによって、私たちが本来受け取るべき答え(聖霊のガイダンス)であるはずの聖霊の視点(聖霊のヴィジョン/真の知覚)が受け取れなくなるのだということです。

それはとても重要なことです。

そう、聖霊の視点(聖霊のヴィジョン/真の知覚)がもたらされることなしには「赦し」もあり得ませんし、もちろん知覚の訂正がなされるこもあり得ないわけです。

そうであるならば、この世界の夢から目覚めていくことなどけっしてあり得ないということを、私たちはしっかりと知っておくべきだといえるでしょう。


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