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どこにもたどり着くことのない旅

二元性の思考体系に洗脳されている私たち

コース(奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを理解するようになると、「自分は常に自我の思考体系と同一化している状態になっている」ということを自覚/認識するようになります。

ただ、「同一化」という言葉はとても優しい表現だといえます。

というのも、

「私たちは自我の思考体系と同一化している」とはどういうことか?

というならば、ようするに、

私たちは自我の思考体系に洗脳されている

ということだからです。

この世界にいる私たち誰もがそのような状態になっているということです。

ただし、私たちはまったくそのことを自覚/認識していません。

むしろ、「自分はまともだ」「自分は健全だ」とさえ思っています。

自分の外側にまともじゃない兄弟を見ながら、そして自分はまともな人だと信じ込んでいるのです。

自分がもはや自我(狂気)になってしまっていることにまったくもって自覚していない状態になっているということです。

それを仏教では、「根本無知」「無明」と呼んでいます。

自分が何をしているのか?まったく分かっていないのです。

自分が自分を自我の思考体系に洗脳し続けていることにまったく無知な状態になっているわけです。

自我の思考体系とは、「主体と客体の二極が存在する」という二元性の思考体系のことを言います。

「主体と客体がある」というそれこそがまさに分離を象徴するものであり、それが二極対立を生み出すわけで、その思考体系こそが間違った狂気の思考体系であるわけです

そして、私たちはその「二元性の思考体系」に洗脳され続けていながら、自分は正気だと、まともだと思い込んでいるのです。

本来の私たちはワンネスであるにもかかわらず、です。

つまり、コースは、二元性の思考体系に洗脳されている状態から脱却していくことを目的としている霊性の道だと言うことができます。

コースが取り消し(Undoing)の道である、白紙に戻す(Unlearn)していく道である、と呼ばれている所以が、そういうことです。

脱・洗脳していくために、まず私たちは自分が洗脳されていることを自覚/認識することが絶対不可欠だといえます。

そう、私たちがコースを正しく学んでいくとき、コースは、まずそのことを私たちが自覚/認識できるよう促してくれています。

自分たちは今や狂気(自我の思考体系)に洗脳されている、と。

コースの学びが進んでいくとき、この世界にいる私たちはみんなまとも(正気)じゃないと分かってくるということです。

ちなみに、それは、この世界の人たちを否定している見ているわけではありません。

二元性の思考体系に洗脳されたままでは、けっして幸せや平安はあり得ない、ということを真に理解する(悟る)ようになってくるということです。

にもかかわらず、私たちは何をしているのか?

というならば、

二元性の思考体系に洗脳されたまま、そのことを自覚/認識することもなく、スピリチュアルの探究、真理の探究、非二元の探究をし続けては、どこにもたどり着かない探究の旅をし続けているといえます。

コースの学習者であってすら、そうです。

二元性の思考体系に洗脳されているということを自覚/認識しないまま、自分はスピリチュアルな存在になって目覚めよう、悟ろうとするわけです。

ですから、私たちが知らなければならないのは、二元性の思考体系に洗脳されたままでは、いくら探し続けても、どこにもたどり着かない、どこにも行きつくことはないということです。

コースの歩みですらも、自分が二元性の思考体系に洗脳されていることを自覚/認識することがないならば、どこにもたどり着くことはないでしょう。

ただし、自分は二元性の思考体系に洗脳されている、自分はまとも(正気)じゃない、ということを自覚/認識したところからコースの霊性の道を歩んでいくならば、そこから学びの階梯を上っていくことになります。

どこにもたどり着かない探究をし続けるのか?

それとも、

二元性(自我)の思考体系から脱・洗脳して、そして実相へと目覚めていく階梯を上っていくのか?

後者のほうを歩んでいきたいのであるならば、コースを学んでいくだけでなく、その実践を通してその階梯を見つけなければなりません。

それを助けてくれるのが、コースのしっかりとして形而上学的理解なのだということを知っておきましょう。


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