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コースを学んでいる「自分」もいないのだ

何一つ除外しない、例外を設けない

コース(奇跡のコース/奇跡講座)が教えている中心概念は、「世界は無い、他者はいない」というものです。

それが何を意味するのか?

というなら、この世界の中でコースを学んでいるその「自分」もいないのだということです。

というのも、世界が無であるなら、その無の中に誰がいるというのでしょう。

そう、私たちがつい見落としがちなのが、この「自分」も、この世界と同様に非実在であるというところです。

純粋非二元の霊性の道を歩んでいく上で重要なことが、何一つ除外しない、例外を設けないことです。

この「自分」も除外せずに、包含したそのすべてが非実在(幻想)であるとしていくことがとても重要なわけです。

純粋な非二元の教えとはそういうものです。

そのように見ていくとき、ずっと見落とされていた全一性(全体性)を認識するようになります。
(コースでは、それを「聖性」と呼んでいます。)

いわゆる、全一なる「心」の自分を自覚するようになります。
(自分の聖性を思い出すようになっていくということです。)


”自分自身が全一でないかぎり、あなたは全一性を理解することはできず、父の全一性を知るためには、子のどの部分も除外されてはならない。”(T-11.Ⅲ.7:10)

奇跡講座/中央アート出版社


コースの学びが進んでいくにつれて、私たちは全一なる、一なる「心」であるということが次第に自覚/認識されるようになっていくということです。

その「心」の自分がこの世界の夢を見ているだけということが自覚されていくのです。

そのとき、夢の中の主人公としての自分も含めて、外側に見えている人、こと、もの、そのすべてが夢の中のイメージ(形象)にすぎないと理解されていきます。

つまり、個人としての自己(自分)の非実在性、無価値性、無意味性が明らかになっていくということです。

そう、そのことを受け入れていくことが、コース学習者の私たちが求められているものであり、訓練していくものだと言うことができます。

それをコースでは「聖霊に明け渡す」「聖霊にゆだねる」「一歩退く」「一歩下がる」という言葉で表現されています。

そして私たちが覚えておかなければならないのは、それは、まるごと全部、というものでなければならないということです。

何一つたりとも除外しないこと、例外を設けないことです。

それは、全面的に、全部まるごと、でなければならないということです。

そうでなければ、自分の本性(真のアイデンティティー)を思い出していくことはけっしてあり得ないと知っておきましょう。

そして、コースの実践における「赦し」はそういうものであるということを覚えておきましょう。


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