神さまのボート/末吉 愛
もう用意されているのだから、いずれ沈んでしまう運命にある自我(ego)のボートに乗るのではなく、素直に神さまのボートに乗って、そのまま<真の安寧>の地へと帰りたいものです。
神さまのボートには、オールがついていません。自分で漕ぐ必要などないからです。この世のものではない聖なる力が、わたしたちをふるさとへと、永遠の幸福へと、連れて帰ってくれます。
自我のボートには、オールがついています。自分で漕がなくてはいけないからです。「自分で」漕がずにはいられないのです。「自分の力」で漕いで、宝島だか何かを、見つけたがっています。いかに自分には優れた力があるかを示し、実感したいのです。神にできなかったことを、成し遂げたのだと思いたいのです。出来もしないのに。
神さまのボートに乗ってみて、オールがないことに気づき、怖くなってまた自我のボートに乗り換える、ということもあり得ます。委ねてただ乗っていれば良いのに、どこに連れて行かれるのかわからず、信頼することができず、また、「自分の力」を発揮する機会を奪われている気もして、嫌になるのです。
<自由>の意味を知らない心は、そのようにして、せっかく乗った神さまのボートから自我のボートに乗り換えます。自分が行きたいところに行かれることが「自由」なのだと信じているのです。それが、苦しみの原因だとも知らずに。孤独感が消えない理由だとも知らずに。未来への不安が消えない原因だとも知らずに。
繰り出した初めは、気分がいいことでしょう。「これで、好きにできる」と、嬉しくなることでしょう。まさか、それが、進んで苦痛を求めていることになっているとは、気づきもせずに。
どんなに神さまのボートから遠く離れて漕ぎ進んだと思っていても——時折振り返って、後をつけられていないかを確認し、神が自分を襲ってはこないかとビクビクし、神が悪魔の顔をして、自分の後を追ってきていないことを知って安堵したとしても——、神さまのボートはいつでも、そこにあります。
もし、助けてほしいと祈るなら、直ちに神さまのボートが現れます。後をつける必要などありません。神にできないことは、何もないのです。わたしたちが神から離れることなど、本当は決してできないことです。
神さまのボートに乗っていれば、苦難なく進むことができます。たくさん助けられ、たくさん愛を受け取り、また、たくさん分かち合わせてもらえることができ、喜びと感謝の思いでいっぱいになります。
誰かを羨んだり、妬んだりすることはないし、誰かと比べて自分はなんと劣っていることかと落ち込むこともありません。自我のボートに乗っていると、よそのボートが気になって仕方がないのでしょう。
けれども、神さまのボートに乗っていれば、比べる「誰か」などいないことがわかります。本当はみんなが、生きとし生けるものがひとつの心で、同じ神さまのボートに乗っている(救われている)からです。他者は、敵は、利用できる都合のいい相手は、いません。いるのは、“兄弟”です。自分とひとつの。
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A Course in Miracles(『奇跡のコース』/『奇跡講座』)の学習をスタートしてから、今日、2024年9月8日で13年目に入りました。なぜ9月8日から始めたのか(わたしはまずワークブックのレッスンに取り組むところからスタートしました)忘れてしまいましたが、9月8日は聖母マリアの誕生日とされているそうです。
また、わたしの誕生日(11/21)は、「聖マリアの奉献の記念日」なのだそうです。コースの教えと聖母マリアは特に関連性はない(文章の中で言及されているわけではない)のですが、わたしの人生においては、興味深いことに(クリスチャンではないのに)関連性があるようです。
自分の誕生日も、名前も、自分の心の決断によるもの(すべて自分の心が書いたストーリー)だということを思えば、わたしは、自分の人生のすべてを神に捧げたいという思いを強く抱いていたのだろうという気がしてきます。わたしもマリアのように、神への全き信頼が、残りの人生全てに貫かれていてほしいと思うし、コースのなかでイエスが次のように言っていることを、コースの教えを、全身全霊で受け入れ続けたいと思っています。
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神さまのボートに乗ったのなら、もう二度とそこから降りないこと。神という永遠の愛が与えてくれた助け主である、そのボートに——聖霊(Holy Spirit)に、完全に委ねること。
神さまのボートに失敗はありません。間違うことは絶対にありません。間違うのは、常に、自我だけです。「自我」とは、間違いそのもののことなのだから。そして、「聖霊」は、正しさそのもののこと。
聖霊だけが、イエスだけが、常に正しい。その<真の正しさ>が、神さまのボートの針路を決めています。自我のコンパスは狂っているけれど——これが正しく“幸せ”を指し示したことはただの一度もない!——、神さまのボートには寸分の狂いもありません。
なぜこれを、信じないのだろう。
なぜ、でたらめな方向しか示さないもの(自分の考え、自分の知覚)を当てにするのだろう。当てにして、それで、救われただろうか。恒常的な喜びと平安を得られただろうか。
時間を無駄にしても幸せにはなれないのだから、イカサマボートに乗っている暇などないのです。わたしたちは、もう、騙されません。自分で自分を欺くことに時間を浪費するつもりはありません。人生を台無しにするつもりはありません。
「ふん、わたしはどうせ、自我のボートに乗っていますよ」と、拗ねている兄弟がいたら、無限の兄弟愛をもって、「あなたも“ここ”にいるのですよ」と、手を取りたいものですね。
「誰も、神から見捨てられてはいないのですよ」と、手を取らせていただくことが、「ああ、“わたし”は確かに救われているのだった」と、すべての神の子が等しく、“同時”に、“いま”、救われているということを思い出す機会になります。
何度も何度も、そうして、兄弟と手を取り合って——どちらが救いを求めて手を伸ばしたのか、どちらが助けを差し出すために手を伸ばしたのか、その違いがまったくなくなる美しさを、“聖なる瞬間”を経験して——、神さまのボートがすべての心をひとつのものとして永遠の愛によって優しく抱き、わたしたちを御国へと連れて帰ってくれることに、全き信を抱いていたいものです。<真の融合>を、すべての兄弟たちと経験したいです。
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今年9/29の大阪セミナーでは、この麗しい“融合”(union)について分かち合わせていただく予定です。
みんなで神さまのボートに乗ったまま、どんな素晴らしい景色が見えるのか、どんな奇跡が受け取れるのか、その得も言われぬ喜びを、一緒に経験し続けていきましょう!
大阪セミナーには、終わってからの交流会だけでなく、毎月無料のオンラインでのギャザリングも含まれています♡
また、ACIM JAPANフェスについても、今年の大阪セミナーにご参加の方々の中で、ご興味のある方にお手伝いいただきたいと思っています。神さまのボートに乗って、心のレベルだけでなく、地においても“神の意志”がなされる、その美しさを目撃すべく、ぜひ一緒に実際に運ばれていましょう!
すでにたくさんの方々からのお申し込みを頂戴しております♡
初めてお会いする方々もいらっしゃいます。最近コースを学び始めた方、これからやってみようかなと思っておられる方もぜひご遠慮なく!
確信の力がどれほどのものかを、みんなで<体験>したいです♡
どなたさまでも大歓迎♡
ぜひいらしてください・.*
ちなみに、今ふと、9月29日も何かの祝祭日かもしれないと感じて調べたら、なんと、三大天使の祝日でした。聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエルの大天使たちの祝祭日だそうです。
おもしろいですね、誰もが真の強さを宿していることを、誰もがメッセンジャーであることを受け入れ、また、誰もがヒーラーであることを受け入れる、そんな素晴らしい日となりそうです♡
偶然は、ないのですよね。
みなさんと、神さまのボートに乗って、確かな道を!
Shalom! Shalom!
愛
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▼9/29 大阪セミナー✨
Union〜特別な関係から神聖な関係へ〜
先着順にて定員になり次第締め切ります━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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