ざくざく詩作工房 #5

こんにちは!
今回は、い〜のさんの「8月31日の夜に」を取り上げます。ご投稿ありがとうございます!

8月31日をベースに、空虚さの中にも切実さのある、読み手に訴えかける作品だと感じました。

まず、連ごとの内容が濃く、まとまりがあるなと思いました。連ごとにひとつの作品としても読めるほどです。ただ、それだけに、連と連の連結、つながりが途切れがちな部分が多く、読み手は連から連へのジャンプに頭を使ってしまうかもしれません。(このジャンプは、イメージの飛躍、流れの飛躍とは別物です)

連を分けることは、単純に内容の差、切り替わりますよ、という合図というとよりは、息継ぎのように捉えたほうがいい場合もあります。読み手の思考、イメージ、読むリズムをいい意味で整えも、崩しもする、というのを意識すること。

もうひとつは、着地点の多さです。

この薄暗い気持ちを
この乾いた音を
次の私の夏に引き継いで。
この夏に
この夜に
私の全部
今、綺麗なままの自分を溶かしてしまいたかった。
この夏の
この夜の
今の私の気持ち全部
いつまで覚えていられるだろう。

例としてこの3部分を挙げましたが、この他でも「私」が「この夏」、「気持ち」をどうしたいのかが語られます。しかし、その都度提示される結末が少しずつずれていて、読み手のイメージが着地しない、あやふやさがあるように思います。「私」自身、どうしたいのか迷っているようにも感じられます。
迷っていてもいいのですが、「迷っている自分」を意識しないと、イメージはあやふやなまま、放置されてしまいます。い〜のさんの中で明確なイメージがあるのなら、読み手がそこへたどり着くには、イメージをふくらますには、言葉や描写が足りないのかもしれません。
あるいは、着地点をきっちりと描きだすこと。着地点の描写を掴む、とも言えるでしょう。それを書けたとき、自分でも手応えを感じるはずです。そして、それを活かすように、全体も整っていく。そのように思いました。

以上です。

ツイキャスなどでもよく話していますが、大抵のことは読み手に伝わって(ばれて)しまう、ということをいつも意識することだと、私は考えています。気を抜いたところ、描写で手を抜いたところ、妥協したところ、すべて伝わります。読み手を侮らず、自分と読み手と真剣に向き合うこと。大事なことではないでしょうか。

それでは、#5はこの辺で。
いかがだったでしょうか、ご自分の作品に、書き方に、活かせそうなものがあったなら、とてもうれしいです。
9月も引き続き募集をかけようかなと考えています。思っていたよりたくさんの方に読んでいただけて、うれしい限りです。ありがとうございます!

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