慰めるという事が出来ない
人を慰めるという事は自分の様な人間にはとても難しくて、近くで悲しんでいる人かいると私まで自分の不甲斐なさに悲しくなってしまう。身勝手な話だ。
私が人に怒る事が出来ないのも私が人を慰める事が出来ないのも物事をやおら難しく考え過ぎてしまうせいなのだとわかっているのだけれどこればかりは致し方ないのかもしれない。許せ自分よ。
自分がされた様にしてあげられればいいけれどそれすら難しくて、自分の様な人間に慰められた所でこの人の気持ちはなんら変わらないだろう。なんて情け無い諦観と、かえって不愉快な気分にさせてしまうのではないかという不安がこんがらがってしまい身動きが取れなくなってしまう。
小学生の頃に道徳の授業を熱心に受けても、現国の成績が良くても結局のところ人の気持ちなんてのはわからなくて、それでもどうしようもない自分を人間たらしめる最後の砦としてせめて人に優しくあろうとする無意識下の理性が悲しんでいる人の隣でオロオロと狼狽している。邪魔くさい事この上ない。
この情け無い人生へのせめてもの抵抗にたとえ道化だとしても身近な人間くらいは笑顔にできたらいいなと思うのは少しかっこつけすぎかもしれない。
まぁこんなインターネットの片隅で望むくらいならバチは当たらないだろう。
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