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明日を生きても良い理由を探している

人生という物は結局どう足掻いたところで積み重ねで、やってもいない事が出来る事はないしやった事やされた事はなかった事には出来ない。

上手に生きる術を知らない私は本当に恥の多い生涯を送ってきました。自分には人の気持ちというものがてんで想像が出来ないのです。

もう中学生の頃までの記憶は殆どない。今も鮮明に思い出せるのは父の怒声と母のヒステリックな声だけだ。

恥を晒して生きてきました。人並みに運動も勉強も出来ず。他人を優に上回るのは要領の悪さだけだった。双子の兄は私には全く似ておらず、引き合いに出される私の事を恥じていた。

何をするにも自分の事ばかりだった。

高校生の頃には繕う事を覚えた。上辺の友人達がとんと増えた。ただ友人という存在に縁遠かった私は彼等が大切で堪らなかった。男子校というのもあって毎日くだらない事に傾倒していたが集団であるが故に程度の低いイジメというものもあった。昔イジメられていた事があった私はシカトされている元友人グループの一員とイジメが始まってからも変わらず接していた。彼等に対する反抗というものでもなかったがやはり彼等は面白くないらしく対象は私に移動した。シカトが始まっても私が変わらず接していた彼はグループに返り咲いた。自己の経験からでしか他人の気持ちを推し量る事しか出来ない私は彼を恨む事は無かった。友人を守れたという結果が何よりも嬉しかった。シカトされている事を気にせず他のグループで騒ぐ私を見て馬鹿らしくなったのか私に対するシカトは終わりを迎えた。

高校卒業後、友人と呼べるのは2人だけだった。


18の頃友人の催した合コンに参加した。不細工な私は盛り上げに徹していた。友人は気に入らない様だったが不細工が女の笑顔を見る為にはユーモアで勝負するしかないじゃんと開き直っていたが何故かそれが功を奏した様で、1人の女の子からアプローチを受けた。今度2人で遊ぼうとか。特に何も思っていないどころか話をすればするほど何もかもに甘え腐った様な女で、好きなタイプではなかったがイケそうならと自分から交際を申し込んだ。「好きだ」っつって。

特に好きでもない生まれて初めての彼女とは電話をビデオ通話に切り替えられた時に彼女がタバコ嫌いな事を忘れてタバコを吸っていたせいで別れる事になった。今思うとマジでしょーもない。当時もしょーもないと思っていた。目の前で吸わなきゃ良いって言ってたじゃねーかよ。行く予定だった名古屋港水族館のチケットは灰皿で燃やして捨てた。


母からの金の無心や数少ない友人がマルチにハマったりとロクなことが続かずにいた頃ダメ押しに実家の弟に対して児童相談所が介入したとの報せを受けた。

もともと父の教育は苛烈だったし想像出来た事だったのに私は卒業後実家には近付いていなかった事を悔やんだ。ロクな兄貴ではなかったが話し合いの場を設けた。唯一の味方であると思っていた祖母はどうあっても父の母親であったし兄ははるか遠方の鎌倉に住まいを構えていた。私は実家から車で一時間程の所に住んでいたし山の中の実家とは違い栄えているから通学に不便はないだろうと中学を卒業したら弟を迎えるつもりだった。

貯金はなかったが必要であれば副業や消費者金融。いくらでも手段はあった。ただ祖父母や父からの条件は一つだった。それは「母を迎える事」だった。それだけは許せなかった。話は一度流れた。私がどうすればいいかと考えながら日々を過ごす頃、私は1人の女性と出会った。

彼女は友人の友人というかなり遠い関係の人であったが趣味がある程度合った。加えて彼女は自分に自信がなく、物事をやおら難しく考える事があった。私は彼女に自分を重ねて見てしまったのだろう。すこぶる身勝手で気持ちが悪い。だが私が彼女を好きになる事に時間はかからなかった。好きになっても良いと思ったのだ。心底醜い。私は彼女を何よりも愛した。一方通行だった。彼女といる時は弟の事を忘れて彼女の事ばかりを考えていた。最低な兄貴だった。ただずっと楽だった。勝手に楽になっていた。

私が「ピアスを開けたいがなんとなく恐ろしい」というと彼女は「似合うと思うから開けなよ」と言った。ただ開けることはなかった。

ある日私は彼女に想いを伝えた。夜中の、狭い車内で。彼女には彼氏こそ居ないと聞いていたが誰か想っている人がいる事は態度を見ていれば明白だったが伝えずには居られなかった。わかっていた事だったが返事は快い物ではなかった。車は彼女の家の前に着いた。彼女は車から降りはしなかった。ポツリ、ポツリと私達は言葉を交わした。これで終わりだとわかっていた。多分お互いに。

暫し生まれた静寂のうちに私と彼女はキスをした。唇の感触なんてものは覚えていないけれど酒臭かったのは覚えている。

彼女は黙って車から降りて、私は車を出した。


暫くして弟と共に暮らす話は弟が母を拒絶した事で流れた。私の独り相撲だった。みっともない事この上ない。


好きでもない初めての彼女も弟と暮らす話も醜い片想いも結局全て他人の、相手の事なんてこれっぽっちも考えてもいない自分勝手で歪な自意識がもたらしたのだ。俺なんかに付き合わせてごめんな。こんな兄貴でごめんな。好きになってごめんな。

ダメ人間でごめんな。

いつも思っている。

死にたいといつも思っている。ただ誰かに後ろ指を指されることを恐れて自分の為に死ぬ事はまだ出来ていない。

初めてのnoteは「誰か一人でも救えたら」だった。たまたま人間の形に生まれた俺の様な物に誰一人として救えてたまるものか。

もしも。万が一俺が幸せになったらどうか石を投げてくれ。


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