まだ他人に傷付けられてるんですか?

皆さんこんにちは。またしても高い所(ネクストステージ)からのご挨拶申し訳ありません。山椒魚です。

こんな物を読んでくださっている読者諸賢の時間を無駄にするわけにはいかないので早速本題に入ろう。

まだ他人風情に傷付けられてるんですか?

わかる。わかりますよ。私も元カノがいつのまにかレズビアンを名乗っていたり、「時間の無駄だった」と言って私をフった1週間後に逮捕されていたりしたので皆さんの「暴論だろ」という気持ちはわかるんです。ですがハッキリと言わせてもらいます。他人に傷付けられるのって、時間の無駄なんです。

全部無駄。驚くほど無駄。酔った時に元カノのLINE画面を開いて電話するかどうか悩んでる時間くらい無駄。絶対出てもらえないしマジで無駄。よしんば出てくれたとしても第一声は半ギレの「なに?」
でもご安心ください、そうなっても悲しい気持ちになる必要はないのです。だって他人ってどこまで行ってもコンテンツなんだもの。

理論的に考えて心が無ければ何が起きてもノーダメージなのだけど残念ながら私たちには心があるので土台無理な話。しかし他人を全てコンテンツだと捉えた時、我々はネクストステージに行けるのです。これぞ解脱。俺の言葉こそ真言(マントラ)。

全ての人間をコンテンツとして捉えるのに肝要なのは「俯瞰する」という事で、より平易な言葉にするならば「一歩引く」事だ。傷付いている自分や悲しんでいる自分、怒っている自分を一歩引いて見てみるとどうなるか、答えはそう「ウケる」のだ。俺ってば他人にメンタルをどうこうされてて草。コイツ俺のことを不快にさせるコンテンツのクセに人間みたいな顔しててウケるな。の気持ちが大切なのだ。

無論良いコンテンツもある。俺に恋をさせるコンテンツも俺を喜ばせるコンテンツもある。だがしかし浮かれてはならない。そのコンテンツも俺を喜ばせた後に傷付けるコンテンツである可能性もあるのだから。

賢明なる読者諸君は気付いたであろうが無論、この考え方はかなり諸刃の剣である。
「何を考えてるかわからない」「心のどこかでバカにしてるんでしょ」といった刃をブッ刺されるリスクを大いに孕んでいる。

しかしてこのリスクよりも私は傷付けられないための「人類皆コンテンツ論」を選び取ったのだ。

効果の程は実証済み。「愛の証として貴方の大便を食べさせてほしい」と恋人に言われた時でさえ、私の心はノーダメージだったのだから。


別れました




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?