幸せになる事を許されていない
我ながらおかしな話だと思うけれどそうなんじゃないかと。
誰かが私の幸せを阻んでいるわけではないけれど何かに幸せになる事を許されていない。そんな事を考えてしまう。
不幸や悩みの種はいつだって予期せぬタイミングでやってきて、その上更に畳み掛けてくる。
仕事がひと段落して明日髪を切りに行こうかな。なんて思った時に限って嫌な事が起きたり、友人と気持ちの良い酒を呑んでいる真っ最中に嫌な奴から連絡がきたりだとか。
いつだってそうな気がする。
特段大きな幸せでもない生活の中にあるほんのちょびっとの小さな幸福を噛み締める瞬間とか、自分にとっては昨日よりちょっとだけマシな人間になる為の儀式の最後の一歩とかはいつだって突如として現れる暴力じみた不幸せに台無しにされてきていて。多分自分だけではなくて読んでいる人にも心当たりがあると思う。
自分や若しくは友人、時間の力でなんとか飲み下したばかり(または飲み下している真っ最中か)の自己を揺るがす様な出来事がまた引き摺り出されたり。
それを誰かに相談しようにもそんな事を難しがっている自分が恥ずかしくなってしまって自己嫌悪の悪循環に陥ってしまう。
人に出来る事が出来ない事を恥じた所で自分が出来るようになるわけでもない事はわかっていても一度挫かれたそれはもう立て直すことが出来ないのだ。特に自分の様な人間には。
それでも明日を生きなければならないなんてのは世界はなんて残酷に出来ているのだろう。
自分よりも不幸な人間がいくらでもいるという事は重々承知ではあるけれど、自分が不幸だと感じたその時くらいは自分の世界では自分が1番不幸な人間なのだからもっと胸を張って苦しめたら楽なのになと思ってしまう。
明日の朝起きたらもう少し生きやすい世界になっていたらいいなと願うのはやはり自分がろくでもないからなのだろう。
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