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師走の疲れは、己と対峙するためなのかと思ってしまう。


人は皆一人だと、小さいころに学んだ。人は離れていく、じっとしてられない、飽きる、隣は常に青く見える。どこにも行かないと思うから、人は依存する。そしたら離れられなくなっちゃうじゃないか。そんな迷惑をかけることは、僕にはできない。だから僕は一人になった。

一人って楽しい。遊ぶ邪魔もされないし、自分がやりたいようにできる。食べたいものを誰かと分ける必要もないし、計画はその通りにやり遂げやすくなる。別に教えられなくたって調べればわかることばっかりだし、自分がやるべきことは、自分が最後にきめるもの。いちいち親とか先生に決めてもらうなんてダサいじゃん。自分のことくらい自分で何とかしないと。大した助けなんてくれないんだから。一人でいることが楽しい感じがして、気が付いた一人で立てるようになっていた。

一人で立っていると、周りの人は少なくなる。そりゃ、少しいかつく見えるからね。まあ別に僕はいいよ。いたい人といれるから。別に怖がる人に助けを求めることなんてないし、困ることもないからさ。

人あたりが良すぎる人をみると、何にエネルギー使ってるんだよ、って思うんだよね。八方美人で何がいいの?嫌な人は嫌じゃん。正直に言いなよって。

そんな心の声を書いてみて、ただの強がりにしか見えなくなったのは、自分というものを問い直して4年の大きな変化であると同時に、4年前の心の声と何も変わりがないんだなという諦めの感情も生まれてくる。

問うてみてほしい。変わらないあの見たくもない顔の悪魔は、皆さんの意識のどこにいるのだろうか。ともにいるか、きり離れているか。統合したかと思いきや全然違ったあの悲しみこそが、僕の人生にドラマをもたらしてくれるんだろうと。

今年一の体調不良に見舞われているこの年末。思考の箍が緩んでるのか、あんまり出てほしくない声がボロボロと顔を出す。師走の疲れはそのためのものかと思ってしまう。さて、年末の予定はキャンセルして、己をみつめる時間にしよう。

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