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この世を去ったばあちゃんに向けて手紙を書いてみた

「おばあちゃんはヒロくんの心にいてくれるようになるよ」

2021年5月の祖母の葬儀の最後に、宇田川家のおじさんがかけてくれた言葉だ。

私にとって祖母は、影響を一番受けている人のひとりである。祖母のとの関係性から痛みも生まれたし、祖母を見て自分の価値観や信念が育まれてもきている。その方がこの世を去るということは、私にとって一つの時代が終わったともいうこと。

祖母が亡くなるという体験を通して、祖母を思い出し、別れを受け入れられない時もあれば、ストンと実感できた瞬間もあった。四十九日を終えて、3ヶ月がたってようやく祖母無きこの世の中で地に足つき始めている。そんなタイミングで、私と祖母のつながりをなんだか書き留めておきたい気持ちになっている。

堅苦しい言葉は苦手だから、おばあちゃんに語りかけていこうと思っている。酔っ払っているおばあちゃんは、聞いてくれてるかな。

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(地元、赤羽の一番街。ここにおばあちゃんは、いたとのこと)

ばあちゃん、元気ですか。私は元気です。天国はいい感じですか。弟や旦那さんと会えていますか。相変わらず、ガチガチの焼酎をシークワーサーで割って飲んでいますか。カラオケの調子はいかがですか。

そういえば、おばあちゃんは英語が好きって言ってたよね。どうだい。この世の縛りがなくなったからこそ、英語の勉強はできているかな。あの世は国が別れているのかわからないけど、「外国を飛びまわりたかった」っていう高校時代の夢は叶えられているかい。勉強好きで読書家なおばあちゃんなら、今頃もう勉強しているんだろうね。

ばあちゃんも好きにやっていると思うけど、この世で僕も好きにやっているよ。「男なんだから、自分の人生も仕事も生き方も自分で決めなさい」て大学時代にずっと言ってくれてたけど、それは確実に実現できているよ。むしろやりたいなと思うことがありすぎて、何が仕事かわからないよ。自由にやるのも、大変なもんだね。

ばあちゃんは自由じゃなかった、面白い人生ではなかった、と話していたよね。時代の常識のせいで、幸せな嫁、母、おばあちゃんだったかもしれないけど、面白いことはできなかったと。だからこそ、僕が自由でいられるための土壌を作ってくれたんだよね。学問、人様へんあり方。どれもおばあちゃんが大事なことを教えてくれたよ。


学問。おばあちゃんは本をひたすら読む人だったよね。しかも自分で不動産とか勉強してやっちゃうくらいの人だったよね。でもそれって、誰にやれと言われたわけでもなく、やりたいからやっていたんだよね。カラオケも刺繍も、自分で勉強して家で自主練していたね。そんなおばあちゃんだから、僕に「勉強しろ」ということは一度もなかったよね。だから、僕にとって勉強いは楽しいものだし、やりたいからやるもの。学ぶのが楽しいと、仕事も趣味も楽しくなってくるんだ。

やりたいからやっているって、本当に大事なんだね。実は今コーチングっていう仕事をしているんだ。みんなが自分が心から願っている状態になれるために、悩みを聞いたり言語化を手伝ったり背中を押したりする仕事なんだ。コーチングでも「やりたいからやっている」がポイントなんだ。やらなきゃいけないことなんてなくて、やりたいからやればいい。責任とか社会的意義とか複雑になって「やらなきゃ」になることもあるけど、大前提自分の人生は自分がやりたいようにやっていくもの。コーチングをとおして「やりたいからやっている」って状態に変化するのを見届けるのは、最高に幸せな瞬間なんだ。多分、「やりたいからやっている」をできなかった痛みを抱えながら、老後にいろんなことにチャレンジしていたおばあちゃんの背中をみていたから仕事にしているんだと思うよ。

「自分の人生・仕事も生き方も、自分で決めなさい」って言葉。今度は僕がいろんな人に届けていこうと思うよ。


人様へのあり方。これは言葉を借りるなら「オープンに」というのが近いかもしれない。おばあちゃんが元気な時は、親戚も僕の友人もとにかく実家に集まっていたね。おばあちゃんが「たくさん呼びなさい」っていうから、学校おわりに集まるのは何故か自分の場所。泊まることもいっぱいあったね。

おばあちゃんが家をオープンにしてくれていたから、人が家にきてくれて一緒に楽しむのが最高に楽しいことってわかったよ。きてくれたら全力でもてなして、料理もお酒も寝床も用意する。気づいた時にピザが頼まれているのと、起きたら朝ご飯がずらりと並んでいたのは、おなじみの景色だったね。これがびっくりなのは、ばあちゃんが大体のことをやっていたってことね。お金も場所も持っているものも、自分のものとして所有するのではなく、みんなで使う。give&takeのgiveをしているって言葉が存在しないくらい、おもてなしが当たり前の人だったよね。

そんなおばあちゃんだから、みんなが大ファンだったよね。誕生日はいろんな人に祝われていたし、そうじゃない時でも誰かが日中におばあちゃんを訪ねにきていたよね。大事な時に駆けつけてくれる人がいっぱいいたね。葬儀の時もそう。いっぱい訪ねてくれる人がいて少し大変だったんだよ、、、とにかくオープンに人と接するから、人も集まるし、何かが帰ってくる。あるものを開いて、人と分かち合う。共に楽しむ。そのあり方が僕にとって大事な価値観になっているよ。シェアハウスをやっているのも、飲食にチャレンジてしているのも、そのため。ガイアックスで仕事を頑張っているのも、自分が持っているリソースを大きくできるようにするため。おばあちゃんみたいに、ありったけのものを人と分かち合える人になってみせるよ。


実はね、一瞬おばあちゃんがやってくれたことを恨みかけた時があったんだ。自分自身の過去や願いを見ていくと、「やりたいことをやらない自分」に出会ったんだ。その時に、「おばあちゃんが受験させたから、ガチガチな思考になったんだ」「あの時野球をノビノビやらせてくれたら、今頃『やりたいこと』で悩まなかったのに」って思っていたんだ。中高一貫校に進学するために少年野球を辞めないといけなかったのは、結構辛かったんだ。友達とも離れないといけなかったし、自分が唯一活躍できるのが野球だったからさ。勉強も嫌いではなかったけど、やっぱり遊びたかったんだよ。

でもね、おばあちゃんは道を作ってくれていたんだよね。高校卒業時に、自分がやりたいことを選べなかった、いや、選ばなかった。周りの力に負けて選べなかった。だから、どんな時でも選べる力をつけるために、受験をさせてくれたんだよね。

たしかに大学途中はきつかった。なんであの時やらなかったんだろう。やらせてくれなかったんだ。おばあちゃんのせいにずっとしていたよ。でも今は違う。中学受験の時から勉強を真面目にやってきたから、仕事をしながらべ教をするのは苦じゃないし、論理的に何かを考えることも苦手じゃなくなったよ。だから今、僕はすっごく楽しい。おばあちゃんが自由を選ばなかった痛みは、自分の中でも生き続けているよ。


おばあちゃんが僕の中で生き続けてくれるから、僕は今もおばあちゃんと一緒に生きているように感じるよ。大事な時は、見守ってくれている、いや、見られているような感じがするよ。このピンチ、おばあちゃんならどう対処するかなって。

「やりたいからやっている」って状態になれるためにコーチングを仕事にしているし、コアキナイっていう「やりたいであり続けるための土壌づくり」をやっているんだ。どっちも使命だと思っているんだ。これも、おばあちゃんの痛みと願いが与えてくれた使命だと思っているよ。なんだか知らないけど、いっぱいチャンスがくるんだ。たまに忙しくなって死にかけるけど、その時は助けてね。


気付いたらこんなに書いちゃった。本当は生きている時に伝えたかったことばかりなんだ。実際に反応は耳で聞けないけど、見てくれているのは知っているよ。また来年の1周忌の時に、ゆっくりお話しさせてね。いい報告をいっぱいできるように準備しておくよ。あの世は飲兵衛ばかりでおばあちゃんがゆっくり呑む暇もないと思うけど、ガチガチのイイチコをゆっくり飲んで、パッパラパーに楽しんでね。

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