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コロナが流行る前ってどんなだったっけ

マスクを外した。外に出る間だけ。

中学2年の終わりに流行りだしたコロナも、今ではインフルエンザと同じ扱いらしい。まだまだ規制が多いけど、でも随分と元に戻ってきているのを実感する。

私は中高一貫校だから、マスク無しの友達の顔は知っているし、学校でも外している人が少しずつではあるけど増えてきているから、顔を知らずに卒業することは無さそうだ。

ずっとマスクを着けている生活だったから、マスクを外した顔を見られるのに抵抗を感じないと言えば嘘になる。実際学校でもマスクは外しずらいし、運動してる時は夢中になってやっぱり外すけど、ふと我に返るとどことなく恥ずかしくなって無意識に手で口元を隠したりしている。

この前、体育の練習試合で戦った後輩たちはコロナ禍に入学してきた子達だから、マスクを外すのに抵抗があるのが凄く分かる。バスケをしながらどんなに息が苦しくとも、そう簡単に顔を晒すものか、という確固たる信念を感じる。あの子達が自然とマスクを外せる日はいつなのだろうか。

話が少し逸れた。戻そう。

渋谷にある塾の帰り道、時刻は22時を過ぎている。渋谷はもうほとんどマスク民を見かけない。今も尚、少し感染については気になるものの、私もマスクを外してみた。

マスクというフィルターを通していない、素の空気だ。大きく呼吸をしてみる。

渋谷は人の集まる場所で、空気も薄汚れたような雰囲気がある。しかしどうだろうか。空気が澄んでいるように感じるのだ。

もちろん田舎の空気とは到底比べ物にはならない。しかし改めて空気と向き合ってみると、心地よいのだ。口元の肌が外気に触れて涼しく感じるのもあるだろう。マスクを介さない空気は綺麗だ。

普段ならそんなこと全く思わない。私は日常生活においてはマスクによる息苦しさはそこまで気にならない方だ。外した時も、開放感はあるものの、空気の匂いにまで気にするほど余裕を持って生きてはいない。

だが、スマホも触らず参考書も見ず、ただぼうっと電車に揺られているとふとそんなことに気づく。

これもコロナ禍にならなければ気にもかけなかった気づきだ。

日本の空気は美味しい云々の話がしたいのではなくて、ただ、当たり前のことに気づくことのできた喜びを綴りたいのだ。少々大袈裟か。

当たり前に存在しているものは、非日常な生活になって始めて、もしくは改めて実感する。
失って始めて気がつく、なんて言葉よく聞くけれどまさにそれだ。よくよく考えたら普通で、しょうもないことを語彙なし高校生が仰々しく書いているが、人間的にも、社会的地位を考えてもまだまだ未熟な私にとっては、大きな気づきだと思う。

流行し始めてそろそろ4年が経とうとしている。
いつになったらマスクの要らない世の中になるのだろう。色々な規制が緩和されて生活が元通りになってきたが、これから先、コロナ禍以前のように客も店員もマスクをつけずにいる飲食店は今後は見られないと思う。

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