『ひいては閑日月のなかに』 ① 5/1~5/6
日々のことを書くことにした。目標は5月末まで。
続くかどうかわからないけれど、継続は力なりって近所のおっちゃんが言っていたので。
はじめに
「ひいては」からはじまる並びの違和感に、可能性をぎゅうっと詰め込んだ。ほかに、もうひとつ対象がないとつながらない言葉の前に、味気ないなにかがあったのか。〝閑日月のなかに〟、うんと特別でゆたかななにかがあるのか。
その答えは、明日唐突に転がり込んでくるのかもしれないし、あるいは人生のおわりまでずっとさがし続けているかもしれない。
わからないことだらけのぼやけた日常の先で、じっくり生活の佳味を味わい、ゆうゆうと暮らしていこうと思う。
5月1日(土)
さわさわと不穏な風が吹いている。
なんだか最近うまく眠れないので、アロママッサージに行ってみることにした。昨夜から、窮屈で重たい帽子をむりやり被せられているような頭重感がずっと続いていると思ったら、雨が降りはじめ雷が鳴り出した。騙し騙しの晴れ間は、日中だけだったようだ。
そういうときは大抵わが家にいるうさぎもベッドの下に潜りこみ、厚い雲がとけて窓が光るのを、じいっと待つ。
傘をさして向かった先はまるで天国だった。
触れられたところがじんわりと熱をもち、身体の内側で、湯たんぽが寄り添ってくれているみたいだ、と思いながら帰路につく。
あいにくのお天気だったけれど、のどかでぬくもりある一日だった。
帰り際、膝に頭がつくほど深々とお辞儀してくれた彼女のつむじを思い出して、すっかり眠りこけた。
5月2日(日)
配送を受け取りそびれたら、不在表が「アキトシ様」宛てになっていた。
どうやら、不在表を引っ張り出して、そこに書かれた名前を悪用する人がいるらしく、その対策として片仮名表記で記載することにしたらしい。
たしかに人よりむつかしい名前をしているけれど、どう首を傾げてもそうは読まれない漢字をつかっているので、きっと彼は(彼女は?)読めない名前に出くわすたびに、小学生のときに飼っていたカブトムシの名前を浮かべて、今回はこいつにしてやろう、と心のなかで舌を出しているに違いない。
おかげで母と散々笑い転げたので、そのいたずらは今後もどうか人類の平和のためにやり続けてほしい。
5月3日(月)
関東の右端の方まできていた。
夜も更け、宴もひとまず落ち着いた頃、蛙の合唱がとぎれることなく聴こえてくるから、その姿捉えようと濃い闇に包まれたまっくらな田んぼをほのかに酔いが残った身体でふらふらと彷徨っていた。灯りのあるほうからまだまだ活気あるにぎやかな声が聴こえてくる。
とうとう田んぼの端までくると、ようやく一匹の蛙と目が合った。が、どうやら、合唱には参加していないようだった。彼は、喉をふくらませることなく、しずかにただじっと遠くを見上げていたようにみえた。
暗さにすっかり慣れた目で一匹の蛙の向くほうへ目をやると、橙色の残照がうっすらと山々の輪郭に沿って広がっていた。その上では目を凝らせば凝らすほど無数に輝きつづける星たちがみえていて、夕と夜が、互いの障りになることなく、そっと寄り添う瞬間に立ち会わせてもらった気分だった。
目の覚めるような景色をみせてもらった礼を伝えようと、一匹の蛙のほうをへ振り返ればすっかりその姿は消えていて、深い闇のなかで明日に備えて眠りについたようだ。
5月4日(火)
いつもと違う場所で迎える朝に、変に冴えた頭と空間のやはらかさに戸惑いながら目をあける。朝のひかりが差し込んで、キッチンの足元にいびつな台形が落ちていた。窓の外から鶯の鳴き声と子どもの元気な声が聴こえてくる。
一足先に身支度を済ませたあと、水辺に腰を掛けて向こう岸で釣りをするおじちゃんを眺めていたら、その後ろを赤毛の柴犬がちょろちょろと道草を食いながらお散歩していた。
すっかり目が冴えたところで、ハンモックに揺られながら本を読みつつ、みんなの足音が聴こえてくるのをゆっくり待つことにする。
一同目が覚めたら、まだうつらうつらした心地のまま朝ごはんの準備をし、しずかに火の音を聴いた。やさしい静寂の音がした。
5月5日(水)
ようく眠った。いやな夢をみることなく、なんだかんだ10時間ほど眠った気がする。おかげで身体が新品のように軽い。
ゆっくり朝ごはんを食べながら映画を一本観終わった頃には正午を過ぎていた。
落ちついてゆっくり読書ができる場所を求め、目的地を初台に決めて代々木公園から歩くことにした。結論から書くと、目的のカフェは満席で、初台を経由して西新宿まで、ただお散歩する一日となった。
ぱらぱらと降ったりやんだりのおかしな天気で、晴れ乞いすると心做しか弱くなった気がしてきて自分の才能をめっぱい褒めたたえた。
強い風に吹かれながら全方位じっくり眺めた歩道橋が、翌日みた『大豆田トワ子と3人の元夫』にでてきてひとりでにんまりした。
道の途中にあった商店街で「地酒」の文字をみつけ、吸い込まれるように店内に入り、ここにしか置いていないという滋賀県の日本酒を買って帰った。
彼とはいつも行き当たりばったりで、思えば目的通りの休日を送った試しがない。
連休最後の日、事件のない朗らかな短編小説のなかを生きているように過ごした。
5月6日(木)
トマト、ハム、チーズをはさんだクロックムッシュに、ちっちゃな洋なしのデニッシュとあつあつのコーンポタージュ。
連休明けの初日、訳があって半日お休みをいただいたので、優雅に朝ごはんと向き合っている。
クロックムッシュはフランス生まれのトーストなのに、食パンが使われているのはおもしろいな…と拘いつつ、おおきな口をあけてガブリと食パンの一角にかぶりつくと、上の歯と下の歯が触れた場所から「カリカリッ」と、心地いい音が内側から鼓膜を騒がせた。
ところで、クロックムッシュの「クロック」は、フランス語で「カリッと食べること」という意味だとどこかで聞いたことがある。濁りがなくまっすぐな由来にフッと心が和んだ。
またたく間に広がるトマトのほどよい酸味に気を取られていると、ハムのやさしい旨味とチーズの芳ばしさが口内に広がり、ゆっくりと目をつむった。
たちまちお皿のうえがデニッシュだけになると、思ったよりお腹が膨れていることに気づき、残りは会社に持ち帰って午後のおやつにいただくことにする。
薄く膜の張ったコーンポタージュをそっと流し込むと、まだうんとあたたかいままで、まごついた心もなめらかな淡黄色のクリームにとろけて消えていくようだった。
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