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かわらない日常から消えた夜のひかり

 東京の夜がすきだった。ちっとも孤独を感じさせないひかり多き東京の夜。道知れず、ふらっと小道に入っても、灯りのついた拠り所がかならずある。あたたかい人たちの幸せをみて、あたたかい料理をたべた。

 東京の人が冷たいなんてうそだ。赤ちょうちんの垂れた暖簾をくぐったそのとき、孤独からは程遠く、あたたかいを体現したような湯気にもくもくと包まれる。みな各々の居場所で、各々の料理を飲み下す。誰も急いていない。ぽつりぽつりと、静かに声が聞こえてくるのを待っている。見知らぬ人の煩悶をみて、見知らぬ人の深憂をみなで真剣に抱える。やさしいこころのなかにいた。

 夜も更け、都会らしく煌びやかにざわめく大きな通りにかえってくると、先ほどまで熱に浮かされたように、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしていた其方は、きっと確信をもって「今が人生の終幕だ、もう酒なんぞ一滴も嚥下してたまるか」と、朦朧とした頭で考えているであろう、電柱の下にてくたびれ果てているお人がぽつぽつと目に入る。遊宴でともにはしゃいだ仲間たちは何処へ。
 わたしは、ゆらゆらと覚束ない足取りでコンビニへゆき、一番手前の水を抱えてレジを通す。都会の夜にはたらくコンビニの店員さんは、水と酒、どちらを多くレジに通してきたのだろう。きっと後者だろうな。
 よし、ほれ水だ。飲みたまえ。体中に溶け込んだアルコール濃度を少しでも薄めるのだ。救い救われ安心して酒を飲もう。これが酒飲みの黙契である。心配するな。3日後には其方はきっと酒を飲んでいる。東京の夜はおわらない。

 はずだった。
 週に5日の8時間勤務。自転車にまたがり会社へ向かう。駅前には、青信号に代わるときを待つ大勢のくたびれた人々。改装中のパチンコ屋の横で、一服する職人たち。川沿いには、爽やかな汗を陽のひかりに反射させながら走る人々。ずっと前から続く、日常の朝。
 仕事を終え、朝きた道を戻る。満月のうつくしさに、思わず漕ぐ足を緩める。前方には、同じように足を止め、満月をじっと眺めるおじいちゃんの姿。変わらない、日常の夜。

 しかし駅前に出てみると、日常がどこにも見当たらない。24時間、瑞々しく営業を続けていた磯丸水産から明かりが消えた。シャッター中央に、ものさみしい一枚の紙切れが貼られた店がそこここに。至るところで、「お持ち帰りやってます」の文字が書かれた看板が目に入る。わたしは足を止めず自宅へ帰る以外の選択肢がない。東京の夜に、触れることができない。

 日常がかわらず続いているのに、東京の夜からひかりが消えた。ひとりがすきだったわたしは、たくさんの人が街を歩いている様子にほっとするようになった。都会の喧騒に飽き飽きして、ふらっと遠くの夜の街までよく逃げ出していたのに、いまは求めてはいけない喧騒が恋しくてたまらない。
 「へいお待ち」と、大盛りの豚キムチ炒めをぶっきらぼうにだしてくれたおじちゃんは、日常をさがして迷子になっていないだろうか。あかぎれのできたやさしい手であたたかいもつ煮込みを出してくれたおばあちゃんは、日常のどこにいってしまったんだろう。

 ひかりのない夜を迎えることがこわくなった。毎晩毎晩、途方もなくさみしい気持ちになる。すきだったはずの東京の夜が、おそろしい。実はすこーしずつ、魂を吸いとられていて、それが蚊の吸う血の量くらいのもんだから、そのときは少しむずがゆい気持ちになるだけで、わたしたちは本当にきづかないうちに魂がちいさくなっていって、いつか音もなくフッと途絶えてしまうのではないか。

 わたしはあたたかい東京の夜に幾度も助けられてきたから、どうかみんなの魂が消えないでほしい。夜がだめならねむってしまえばいい。夜がだめなら人々がまだ深い眠りのなかで夢をみている夜も明けやらぬうちに、目を覚ませばいい。早朝日の出を浴びながらよむ本は、深夜人々が寝静まった頃にベッドに寄りかかってよむ本と同じくらい心地がいいことを知っている。東京の夜からひかりは消えてしまったけど、東京の朝のひかりは今までよりもずっとつよい。わたしは、たくさんかき集めたパチンコ玉を幸福に見立てて、おでんを食べながらけらけら笑うおっちゃんに会いたいだけなんだ。

 わたしは今、会社近くのそばやさんで天ぷらを揚げる心地のよい音を聴きながら、このnoteを書いている。いつもは、コンビニで済ませてしまうけど、なんだかそれじゃあだめな気がした。日常には、こんなにもしあわせな音がそこら中におちている。希望のひかりは消したくない。あたたかい天ぷらそばを抱きしめながら、ちっぽけな夢を辿っている。


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