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『ひいては閑日月のなかに』② 5/7~5/14

つづき。Twitterには4日ごとに載せています。

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5月7日(金)
 会社に「山田さん」がいる。
 はじめて彼からの電話を取ったとき、「山田です、おつかれやまです」と言われた。ユーモアのある人なんだな、と思った。(おもしろいかどうかは別として)
 しかし、長く働いているうちにわかったことは、山田さんは至って真面目な人だということだった。淡々と仕事をこなし、軽口を叩くでもない。「駄洒落」という言葉から程遠いところにいるような人だ。
  初めは、山田の「山」につられて言ってしまったのかとも考えたが、何度聞いても変化はなかった。
 山田さんの挨拶に意識を向け始めてから三年。いつか本人に直接聞いてしまおう、と思ってはいるものの、山田さんの真面目さになぜかこちらが後ろめたい気持ちになってしまい、今も相変わらず山田さんは「おつかれやまです」と挨拶をしてきている日々だ。
 おつかれやまです。

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5月8日(土)
 奥を透かすほど儚い乳白色。張りのある色艶。少しでも力を込めたらそこからぷつんとはじけて消えてしまいそうだ。それに、ほんのり潮の香りがする。母のぬくもりのような甘ったるさに、全身の筋肉が眠って動かなくなったようだった。
 昨晩、石持浅海さんの『Rのつく月には気をつけよう』という小説を読んだら、体がすっぽり埋まるほどおおきな生牡蠣のうえでうたた寝をしていてそのまま生牡蠣にゆっくりと沈んでいく夢をみた。
牡蠣は、十二ヵ月を英語表記にした際「Rのつく月」に食べなさい、と云われている。つまり九月(September)~四月(April)の間、毒にならないくらいの涼しい時期に食べると安全、という先人の知恵らしい。
 沈んでいく途中で、このまま飲み込まれてしまう前にもう一度、口いっぱいに生牡蠣を頬張ってまろやかなまま消えてゆきたい、と思ったところで目が覚めた。

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5月9日(日)
 今日は母の日。ということをうっかり忘れてしまわないよう、前日に、今日の終業時間にアラームをかけておいた。
 ”プリン買う”
 閉店時間5分前に駆け込んで、プリンをよっつ注文した。ひとつは自分の分で、もうひとつはこれから遊びにくる友人の分。残りふたつが母の分。
 自宅で待つ母のもとへ、プリンが傾いてしまわないよう慎重に、羽毛のように浮足立った気持ちを鎮める努力をしながら向かう。プレゼントは間に合わなかったから今日はプリンだけ。胸に余る想いを120円のプレートに乗せて。

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5月10日(月)
 経堂にある『小倉庵』のたい焼き。
 昨晩、あそびにきた友人がもってきてくれた。カスタードふたつとラムレーズンクリームふたつ。
 『小倉庵』には、日替わりで一風変わった味のたい焼きを提供していて、それが毎回本当においしそうなものばかり。ほうじ茶クリーム、大学芋あん、抹茶のチーズケーキ…。店員さん自身が心楽しませて温情あふれる接客に、いつ店前を通っても、にぎやかな行列がある。
 
 グリルにたい焼きをふたつセットすると、ものの数分で甘みを含んだ芳ばしさが鼻孔をくすぐった。あまりの香気の高さに、焦げついてしまったかしら、と駆け足でグリルを開けにいったほどだ。
 羽根つきである『小倉庵』のたい焼きは、グリルで焼くことで歯ごたえが増し、別の食べもののようでもあった。
 ほどよく焦げのついたラムレーズンクリームのたい焼きは、たい焼きの芳ばしさを邪魔することなくラムレーズンがよいアクセントとなり、クリームが旨みをまろやかに包み込む。
 もうひとつのたい焼きは父に渡す。父がかぶりつくとバリバリッとたい焼きらしからぬ音を聴いて、ふたりして笑った。

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5月11日(火)
 鍵と携帯だけを握りしめ、矢庭に家を飛び出した。
 ぐっとつま先に力をいれて駆け出すと、強弱のある風と同じように気ままにぱたぱたと走り続ける。
 小学校の裏庭にぽつんと置かれた地球儀の淡い海色。池の中で器用に苔のすき間を滑らかにすり抜ける金魚の尾びれ。ひび割れたコンクリートの隙間からたくましく葉を広げるアイビーのゆらめき。ちいさな花束が身を寄せ合って咲いているようなランタナの花。
 そういった命のかけらのようなものをみつけては、走る速度を落としてじっと眺めた。
 わたしが大人になりそびれていたとしたら、それは目移りしながら気ままに進みつづけるたのしみをやめられなかったからだろう。
 遠くで鳥のさえずりが震わせた空気に、首筋をなでられたような気がした。

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5月12日(水)
 歌の先生の家は、年中草木がわさわさと茂っていて、毎週違った顔色で出迎えてくれる。
 今日のレッスンの帰りには、すっかりブラシのかたちに開いたブラシノキをもらった。紅色のブラシ部分はひゅっと伸びた雄しべで、ようくみると、基部に五つの花弁がついた緑色のお花がきちんと咲いている。
 植物は、案外安直に名前をつけられる。
 安直な植物の名前で思い出すのは、有川浩さんの『植物図鑑』で、物語のはじまりに描かれる「へクソカズラ」。花開く姿はうんとかわいいのに、葉や茎を傷つけると屁糞のような悪臭を放つから、へクソカズラ。
 ちなみにブラシノキ、英名では「Bottle-brush」と呼ばれるそう。「瓶洗浄ブラシ」。そのままじゃないか。

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5月13日(木)
 暗雲垂れ込める空模様に、胸がきゅうっと緊張している。
 湿気って握りづらくなったボールペンの先端から、地面に落っこちてしまったTシャツのようにくたびれた姿の文字が垂れ流されていることに気がついて、背筋にぐっと力をいれた。
 しとしと雨が降る日の室内でぼんやりしていると、学校の被服室に立ち込めるアイロンの匂いを思いだす。自宅で感じるアイロンの匂いとはすこし違った、ここで過ごしてきた人たちの残した気配が、蒸気に紛れて生地と一緒に熱せられているような、あの頃、あの場所だけの匂い。
 見失いかけていた五感がひゅっと返ってきてハッとした。ありのままの今日という日は、今しかないのだった。
 くたびれて落っこちていたTシャツに、端からゆっくりと熱を通してゆく。うむ、今日もいい日だ。

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5月14日(金)
 日盛りのちから強い陽射しに自然と目を細める。陽の光を反射して、透き通るように白く光る青葉さえもあった。

 ずっと中華やさんのオムライスが食べたかった。
 ごろごろとお肉が入ったケチャップライスはきらめくほどに油たっぷりで、それをみちみちといった音が聴こえてきそうなほど、よく火の通った薄焼き玉子で包み込む、ケチャップだけをかけたシンプルなオムライス。
 目の前では、店主が中華お玉でむんずと調味料をつかみ、洗練された豪快な動きで中華鍋を振るう。そこまでは把握してみていられるのに、気がついたらお皿の上にきちんと料理が出来上がっている。中華やさんの七不思議。
 本当においしいものに出会うと、恥ずかしくて思わずにやけちゃうようなむずがゆい気持ちになることがある。一口食べてから写真に撮られたオムライスが、たまらない気持ちを代弁してくれている。

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